ペンライトを青色に光らせられるようになるまで
※ドーム「18祭」のネタバレを含みます。(私が参戦したのは12月18日ペイペイドーム公演と12月25日バンテリンドーム公演)まだ行ってない人はご注意ください。そして、どうか楽しんで!
安田さんが、終わりがけの挨拶で「手をとってください」って言ってくれて、本当に嬉しかった。私が、手を伸ばしてくれていた、と思っていたのは間違いじゃなかったらしい。
手を伸ばしてくれて本当にありがとう。
あなたの手をとれる人生でありたい。
自分でもおかしな話だと思うんだけど、関ジャニ∞のことがほんとにほんとにだいすきだな、と思ったのと同じくらい渋谷さんと錦戸さんのことがだいすきだなって思った。
関ジャニ∞というグループは、自身の歴史をちゃんと抱えて存在してくれている。すべては地続きで、関ジャニ∞はずっと関ジャニ∞なんだと思えた。だからかもしれない。
関ジャニ∞という存在がだいすきだ。その歩み、すべてを愛してるな……。
行きの新幹線で、改めて自分の感情を見つめ直し、ペンライトはもう何色にも光らせられない……と思ったけど会場でともだちの持っていたJUKE BOXのペンラが自動で色が切り替わることに気づき、私の持ってる十五祭のペンラと交換してともだちはオレンジで振り、私は虹色で振ることになった。光らせて振れてよかった。彼らから見た景色が、きらきらと瞬いたならそんなに嬉しいことはない。その景色の一部になれてよかった。
本当に、人生ってやつはよくできている。
これでよかった。
心からそう思う。
これでよかったのだ。
……というのが今年の一月8BEATの公演に参戦した時、鍵垢で公開してたメモ書きです。
私は2012年の映画「エイトレンジャー」で関ジャニ∞を認識し、「ER」いい曲だな〜と思ってベストアルバム「8EST」をレンタルしました。その後中学校で仲良くなった友人がeighterだったこともありなんとなくメンバーの話とかを聞いたりライブ参戦のうちわ作りを手伝ったりして「ともだちが好きなグループ」っていう「ともだちのともだち」的な感覚漠然とした好意を抱いていたわけですけど「JUKUBOX」のライブDVDを貸してもらって、そこで「宇宙に行ったライオン」を演奏してる関ジャニ∞を観て、それで、心底惚れたんですよね。
「宇宙に行ったライオン」を歌う渋谷すばるさんが、関ジャニ∞が、とてもとても格好良かった。
それから「関ジャニ∞が好き」になって、「関ジャニ∞の中では誰が好きなの?」って聞かれたら「渋谷さんと錦戸さん」って答えるようになった。中学校の頃のともだちもそういう認識で、誕プレで赤と黄色のものばっかもらってた。
それでもしばらくは「曲ファン」を名乗っていて、CD買ったり音楽番組に出てるときは観るけど、出演してるドラマや映画を必ず観たりとかはしてなかった。ファンクラブにも入ってなかった。これは自分のお金で入りたいなと思っていたからというのもあるけど。ともだちがライブに行っていたので、「JUKUBOX」からは毎回全員写真の代行を頼んでたけどライブに行ったこともなかった。そんな自分が「eighter」を名乗るのはおこがましいんじゃないかと思っていた。それが、本当に本当に、大切な、大事な名前だってことを知っていたから。
でも2018年の頭ぐらいかな、関ジャニ∞が好きって話をした高校のともだちに「eighterなの?」って聞かれて、するりと頷いてた。
約6年間、関ジャニ∞を見ていて、ずっと好きで、大好きで、Twitterのアカウントも作ってはいたけど、自分みたいなやつが「eighter」を名乗るのはおこがましいんじゃないかとどこかでずっと思ってた。でも気づいたら自分の人格形成の基盤になっちゃってたことにその頃、やっと気づいた。
関ジャニ∞のことが大好きだった。
そして、やってきた2018年4月15日。
当時のことは当時の自分が書いてるのでもう書きませんが、私は、本当にあのときただただ「彼らの人生に、これからに、大丈夫、大好きだよ」って言いたかった。悲しくない、さびしくないといったら嘘になるけど、ずっと大好きでいると、覚悟を決めた。渋谷さんの門出を心から応援したし、関ジャニ∞を続けると選択した6人に心から感謝していた。
それは今でも変わらない。
(先日、渋谷さんのライブにも行きました。とてもとても楽しそうに歌っていて、私もとても楽しくて、やっぱり大好きだ! と思いました。これからも大好きだ……)
それから、2019年9月。
当時もブログを書きました。それでも別に、全く、「裏切られた」とは思わなかった。今もそうです。当時私は浪人生だったけど、中学校のともだちと予備校の先生に背中を押される形で参戦した「十五祭」は、とてもとても楽しかった。これが私の走馬灯で良い! と思えるぐらい。錦戸さんのうちわを握りしめて、8色に光ることがたまらなく嬉しかったペンライトはずっと黄色で握って、オープニング映像で号泣して、泣きながら笑っていた。
それでも、ずっと大好きだと思った。
それでも、関ジャニ∞が続いてくことに、心から安心していた。
関ジャニ∞の行く末を、作っていく未来を、私は見届けたいと思った。その、覚悟を決めました。
それでも、関ジャニ∞が、大好きだった。
二度目の「47」が決まったとき、手元に自分で稼いだ金があったので慌ててファンクラブに入会して申し込んだんですけど、それには見事に落ちました。友人も外れたんですけど遠征するタイミングがあり、グッズだけ買うというので5人のうちわを代行してもらった。「健やかであれ……!」と心から思った。「47」はコロナの影響もあり結局完遂できなかったけど、ちびぬいが発売されて「なんて粋なことをしてくれるんだ!」と思いながら買った。当時は大学進学直後で、オンライン授業ばっかでともだちもいなくて大変心細い思いをしていたので一人暮らしの部屋にちびぬいがきてくれたことがとても嬉しかった。
それからはまた、大変でしたね。
みんな隨分歯がゆい思いをしたと思います。私もかなりしんどかった。実家を出てはじめての一人暮らしかつ大学生活で、ともだちもいなくて。その頃は刀剣乱舞という私の人生におけるもう1つの指針とも出会っていたのでその二大柱を心の支えにしてなんとかやっていました。
2021年になったら少しずつ大学に登校することができて、ようやくともだちもできました。
そのうちの一人もなんとeighterで、おまけに同じAO入試組だとわかり「入試の日メンノンの付録のトートバック使ってたよね?」と言われました。びびった。ともだちも同じものを持っていました。時々大学でお揃いになってます。
私はメンノン付録のトートバックやら「十五祭」のイッツマイバックやらを堂々普段使いしてて、CDも全種買いして、音楽番組も必ず観て、雑誌もチェックして、相変わらず出演映画やドラマは観たり観なかったりして、大学でできたeighterのともだちと関ジャニ∞の話をしたりしていました。「8BEAT」が出たときは二人で「やっとアルバムが出た!」と喜んだ。ファンクラブにも入り続けていた。ずっと好きだった。彼らの行く末を見届けると、覚悟を決めていた。
ライブ「8BEAT」は、自名義は外れたけど、大学でできたともだちが当たっていて、連れて行ってもらえた。
高速バスで行く予定でバス代も払ってたけど当日私が特大寝坊をぶちかましてしまい起きたときにはバスはともだちだけ乗せて出発するところでした。その節は本当にごめんなさい。私はバス代5000円をドブに捨て、友人は焦りのあまりICカードにチャージしたお釣りの5000円を駅に忘れました。まじでごめん。しかもそのあと新幹線で追いかけた私のほうがじゃっっっかんはやくついちゃったし。なんなんだ。
その新幹線の中でひとり、「十五祭」のペンラを眺めながら「もうこのペンライトはもう何色にも光らせられないな……」と考えていた。
何色に光らせて持っていればいいのか分からなかった。
関ジャニ∞が大好きで、5人のことが大好きで、うちわは「47」のときの5人のものを持っていたけど、ペンライトってどうしたら良いんだろう? と思った。「十五祭」のときはずっと黄色で持っていた。赤色にだって光るそれは、きっとその色で持っていてもいいよっていう彼らのメッセージで、それは本当に本当に嬉しかったけど、だからこそ、そのどちらの色で握ることもできないと思った。
そんなことを考えながら会場に入って、ともだちにも話さなきゃなと思ってたんだったか話したんだったか忘れたけど、席についてペンラやらうちわの準備しだしたとき、ともだちが中古で買ってた「JUKUBOX」のペンラが虹色に光ることが発覚した。本人は知らなかったみたいで、私も知らなくて、慌ててお隣の方に聞いたら「色指定できないペンラ」だった。7色順番に光り続けるペンラだった。
交換してもらった。
ともだちは丸担で、オレンジに光らせたいだろうから、という思いもあったけど、「色指定できないとか、そんなの私のためのペンラじゃん」ともそりゃ思った。ライブは、始まった瞬間また号泣してしまったけど、とても楽しかった。関ジャニ∞が、5人が、それから渋谷さんと錦戸さんのことが、だいすきだな〜と思った。
そして何より、ペンラを光らせることができてよかった。
ライブ会場でキラキラとペンライトの光が瞬く光景がとても好きだ。彼らの見たい景色だとも思う。その一員になれて、本当によかった。
今思えば、そのペンラが「JUKUBOX」のときのものだったということも、めちゃめちゃすごいことのように思える。私が彼らに心底惚れたライブだ。
本当に、人生ってやつはよくできている。
と、そのとき、虹色に光るペンラを握りしめ、心から思った。
7月のスタジアム「18祭」にも同じともだちと参戦して、またペンラを交換した。
そのときは2階スタンドのかなり上の方でしっかり双眼鏡を駆使したけど、会場全体を見渡すことができて、それがとてもきれいで、そんな上の方でもとてもとても楽しくて、本当に、あの日は泣かずにずーっと笑っていた。笑っていられた。「楽しかった〜」と言いながらともだちと帰った。
関ジャニ∞のことが大好きだった。
そんでもって久しぶりのドームの冬コンが決まって、ともだちとバラして応募したらふたりとも当たって、2週連続で行けることになった。
そこでとうとう、新しいペンライトが発売された。
8色、色指定できるペンライトだった。
私がそれを迷わず購入したのは、彼らに落としたいってのもそうだけど、制御型のペンラだと聞いて、「彼らの演出に加わりたい」と思ったから。彼らの思いに報いたかった。彼らの、見たい景色の一部になりたかった。
12月18日のペイペイドーム公演にまず行った。うちわは相変わらず5人のものを持っていた。制御されてるうちは正直気が楽だった。そうじゃないときは、特に意識的にいじらずつけたときについてるままの色で握ってた。それが赤でも黄色でも気にしないことにした。メンバーが近くに来たときは、メンカラに変えて手を振った。
ライブはとても楽しかった。
制御されたペンラの、会場全体使った演出は素晴らしかった。
声出しOKになって、全力で叫んだ。みんなのコールにレスポンスできることが嬉しかった。安田さんが「大好きー?」て聞いてくれることに対して「大好きー!」って声に出して言えることが、本当に嬉しかった。
そうしているうちに、なんとなく青色に光らせたくなってきた。
ライブの終盤、安田さんが突然花道まで駆け出したのを観てわけもなく目頭が熱くなった。
安田章大さんはとてもとても優しい人だ。
時々、独特すぎてまじで何いってんだかわかんないときあるけど、とても丁寧に考えた言葉で話をする人だと思う。
安田さんが、メンバーが“減った”ではなく“変わった”と言ってくれたことを、私はずっと覚えているし、インタビューや、「8BEAT」の時も、なんだかずっと、私が言ってほしいようなことを言ってくれるひとだった。
それから、今一番「eighter」って、私たちのことを呼んでくれるひとのような気がしていた。
それから一週間後の12月25日バンテリンドーム公演にも行った。開演前、ともだちと「また大好きって言わせてほしい」「味をしめててくれ〜」「メンバー全員に言いてえ〜」とか言い合ってたら、安田さんは、今度はなんとわりと序盤で「愛してる」って言わせてくれた。
「愛してる」て。
ライブってすごいな。普通に生きてたら「愛してる」って、愛してるひとに全力で叫べることなんかないよ。
本当に全力で叫んだ。ペンラもそれから、無制御中は基本青で持ってた。双眼鏡で、安田さんのことを追いかけてた。
帰り道、ともだちに「今日はずっとペンラ青だったし、安田さんのことばっか見てたね」と言われて、ふにゃふにゃになりながら「なんかすっごくかわいかった〜」と言っていた。
安田さんのことが大好きだった。
すごいな〜、って思う。だってもう、なんだかんだ存在を知ってから10年で、関ジャニ∞が好きだなって自覚してからは8年ぐらいが経つ。みんなのこと、ずっと見ていた。ずっと好きだな〜大好きだな、と思ってて、これからもずっと好きでいる覚悟を決めていた。
なのに、ここってまだ底じゃなかったんだ。
10年間見てきたひとに、ひとって、恋に落ちれるらしいです。
自分でもびっくりしてます。
関ジャニ∞ってすごいグループだな〜と本当に思ってる。
追いかけてきてよかった。
ドーム「18祭」では、もう聞けないんじゃないかと思っていた「宇宙に行ったライオン」も演奏してくれて、私の夢がまたひとつ叶いました。本当にありがとう。
横山さんが、村上さんが、丸山さんが、安田さんが、大倉さんが、大好き!
彼らが私の人生に現れてくれなかったら、本当に、何もない人生だった。
関ジャニ∞のおかげで、本当に良い人生だな〜と思えています。ありがとう。
愛してる!!!!!
追伸 オタクとして欲を出すなら安田さんには最後までハーフアップを貫いてぜひハーフアップを円盤に残して頂きたいです、お願いします神様。
ではまた