私事覚書

君に今、伝えておきたいこと

若さ以外の光で突き刺して

安田章大さんの誕生日に寄せて
(でもいつも通り自分語り)


 

まだJKって言って良いのかな
何歳までアイドルやるのかな
若さ以外の光で突き刺して
ねえ、生きてるって感じする?

■ックミー、■ックミー/大森靖子

 



 この歌詞のフレーズがふっと頭をよぎったのは「ぼちぼち大事な夜」を見ていた時のことだった。
 安田章大さんが、会話の中で、さらりと、「はやく大人になりたかったもんな」というようなことを言った。それを聞いた時、「ああ、安田さんも“若さ以外の光”を求めている人だったのか」と、私は思った。
 


 *



 関ジャニ∞のことを、なんだかんだ10年以上見ている。

 これ以上ないくらい、良い年の取り方をしていると思う。ライブの冒頭、ひとりひとり名前とともに大写しされる顔を眺めながら、いつも思う。
 私は三馬鹿合わせて100歳だ〜とともだちと言い合ったりしていたし、「三十路少年」での大倉さんの「俺まだ二十代」が本当だった頃を知っている。今年はもう、丸山さんが40になる。年取ったな〜と思う。彼らも自分も。


 関ジャニ∞に出会った時、私はまだ小学生だった。
 中学では関ジャニ∞のおかげでともだちができたようなもんだ。ともだちの「変顔して!」うちわ作りをげらげら笑いながら手伝った。昼休みに曲を印象で四季に分類した。ともだちがメモ帳に書いた好きな曲ランキングを何枚ももらった。部活中クルトンのダンスを踊って後輩に「なんですかそれ」と言われた。
 高校生の時、渋谷さんと錦戸さんが退所した。

 2018年、私は18歳だった。
 渋谷さんが「人生の半分」とした36歳の、ちょうど半分だ。
 学校から帰ってきて、録画したニュース番組で会見の映像を見ながら、何だかすごく「私もがんばろ」と思ったことを覚えている。
 それから、自分は36歳になった時何をどう思うんだろうと思った。だからずっと、36までは頑張って生きてみよ、と思っていた。

 それが最近、40代の自分にも興味が出てきた。

 最近の関ジャニ∞を見てると、「ちゃんと」年取った顔だな〜と思う。
 横山裕が、村上信五が、丸山隆平が、安田章大が、大倉忠義が、「ちゃんと」年を取ったんだなと思う。地に足をつけ、いっぱい苦労して楽しいこともあって、誤魔化したりせずちゃんと年取ってる。良い年の取り方をしてるな〜と思うのは、やっぱりそういうことなんだと思う。

 関ジャニ∞を見てると、年を取るのが怖くなくなる。
 「ちゃんと」年を取ろうと思う。そのために頑張ろうと思う。



 *



 我ながらおかしな話ではありますが、「STAGE navi vol.80」の11ページ、眼鏡を外して笑顔の安田さんの写真を見た瞬間「うわーーーーー! “安田章大”が“ちゃんと”年を取った顔だ! すげ
ーーーーー!!!」と思った。
 それから、ぼち夜を観て、大森靖子さんの「■ックミー、■ックミー」の歌詞が頭をよぎったことを思い出した。

 「若さ以外の光」だ、と思った。そう感じたことを書こうと思った。それは本当にすごいことだから。
 
 書こう書こうと思いつつ先延ばしにしていて今日になっちゃったわけですが、先延ばしにしてる期間で観た舞台「少女都市からの呼び声」にも、年を取ることについてのひとくだりがありました。

 

少女 年って、幾つ取っても同じ顔でいられるんでしょ。
男 バカ、年に勝てる生き物なんてないんだっ。
(中略)
男 うん。そこには短い廻り灯籠が動いているんだ。幾何年たっても、肌がツルンツルンしているというわけにはゆかない。お風呂に入って出りゃ、足の皮はヒワヒワになるし、どんなに美人だろうと、寝起きの顔は幻滅なんてこともあるんだよ。
少女 いいことはどんなこと?
男 きっと、好きな男に会えるだろうよ。

唐十郎Ⅰ 少女仮面/唐版風の又三郎/少女都市からの呼び声』早川書房より引用


 
 安田さんの演じる田口(男)だったからこそ、私にはこのひとくだりが一層染みた。ものすごい説得力があった。

 安田さんは、自身のシワだって「良いでしょ」と言って憚らない。その在り方がとても好きです。本当に、着実に年を取り、「若さ以外の光」で突き刺す権利を得たひとだと思う。

 私は、その光を確かに見た。

 





 最後になりましたが、安田章大さん、39歳のお誕生日おめでとうございます。
 関ジャニ∞も、ちょっとせっかちがすぎるような気もしますがほぼ20周年ということで、おめでとうございます。
 同じ時代を生きていっしょに年を取ることができて幸せです。本当に、ありがとうございます。

 安田さんと関ジャニ∞の益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。






サンキュ〜✌

兄(妹)の話

(あるいは舞台「少女都市のからの呼び声」を観ながら考えたこと、観たあと考えたことの整理・備忘録)

※舞台「少女都市からの呼び声」の物語・演出・パンフレットの内容に触れます。






 兄がいる。
 三つ上、といつも説明するが兄は早生まれなので一年の半分以上は二歳差だったりする。だから二つ上、と説明するほうが正確なのかもしれない、と最近は思う。
 私と兄は特別仲良しというわけでもないし、特筆できるような仲良しエピソードがあるわけでもないが、私は兄のことがわりと好きだったりする。
 きっと、母よりも父よりも長く、同じ時代をともに生きるだろう。
 兄がなにをやっても、なにがあっても、私だけはこの人の味方でいようと、決めている。




 *



 舞台「少女都市からの呼び声」を観に行った。
 7月15日㈯の夕方公演。ローチケの一般でとったチケットは三階席の一番後ろで「逆に貴重!」とは言ったもののどの程度見えるものか不安になりつつオペラグラス持参で挑んだ。席についてみると角度のついた三階席後方は舞台全体のみならず会場全体が見渡せてとてもよかった。想定してたよりはるかにちゃんと舞台も見えた。一階席のお客さんの後頭部を勝手にお借りしてオペラグラスの調整をしつつ開演を待った。

 開演五分前になぜか異常に緊張しはじめ隣に座っていたともだちに手を握ってもらった。
 「なんか……やになってきちゃった…」と喚く私の手を、ともだちは「やにならないで〜」と言いながら握り、それからなぜか上下に振ってくれた。

 観ながら、そして観たあとに自分がどうなっちゃうかわからなかった。

 私は、物語にはまずノーガードでぶつかりにいくのが礼儀。押忍。という思想の持ち主なので観ると決めた映画の予告編からは逃げ回るしシリーズ新刊のあらすじはうっかり読んじゃわないように手で隠しながら買う。予告編やあらすじを見て、あれこれ考える時間もたしかにかけがえのないものだけど、私は何も知らないまっさらな状態で作品を味わえるのははじめの一回だけだから、それをどうにかして死守したいと思っている。

 だから「少女都市からの呼び声」も、キービジュアルぐらいしか把握してなかったし、なんならそれすら若干薄目で見てた。雑誌も買うだけ買ってインタビュー記事は読んでなかった。

 自分で望んで生み出した状況ではあるけど、そうなると心構えのしようがなくて、ともだちに「誘っておいてなんですが私はあらすじを知りません。観たあと自分がどうなっちゃうかもわからないです……」と言うしかなくなる。おまけに私は映画「味園ユニバース」を劇場で観たあと物語のエネルギーを消化しきれなくて三日ほど体調を崩した前科もある。緊張しないほうが無理な話だ、例え三階席の一番うしろでも。……いややっぱ緊張の才能あるかも。


 始まる前はそんな感じだったわけだけど、いざ幕があがったら正直なところ、物語というより世界観についていくのに必死だった。

 手術台に男(田口)が寝ている。腹からでてくる長い髪の毛を切断するかどうかを看護師が親友(ということにしておく)の有沢とその婚約者ビンコに迫る。田口は突然覚醒し、「雪子に聞いてくる」と言い残しまた眠る。
 雪子とは田口の、行方不明の妹である。田口は雪子と会う。雪子は、右手の指を三本も失い、おまけに婚約者のフランケ醜態博士に体をガラスに変えられている。田口は雪子を救い出そうと奔走する。
 なぜ田口は自分の指を雪子にあげる選択をしてまで、雪子を救おうとするのか、舞台上で理由が語られるわけではない。

 でもきっと、兄妹だから、以外にない。

 と、私は思う。
 舞台を観ながら、無意識のうちに納得している。

 「少女都市からの呼び声」は兄妹の話だ。

 (と、私は思う)


 目まぐるしく展開していく物語に、若干遅れをとりつつも、がつんとなぐられるように感動したのが、雪子が田口に兄さんと呼んでくれと乞われ「兄さんーーーーー!」と力の限り叫ぶシーンだった。


 兄を「兄さん」、あるいは「お兄さん」「兄ちゃん」「お兄ちゃん」「兄貴」「兄上」「兄者」と呼べるのは、妹(あるいは弟)だけなのだなぁということを時々考える。それから、妹(あるいは弟)は生まれた瞬間から妹(あるいは弟)だけど、兄(あるいは姉)は妹(あるいは弟)が生まれた瞬間兄(あるいは姉)に“なる”のだよなぁということも考える。

 田口のことを「兄さん」と呼べるのは雪子だけで、田口は、雪子がいないと「兄」にはなれない。
 「兄さん」と呼ぶ、そして呼ばれることはある意味「愛してる」と伝えるよりかけがえのないことなのかもしれない。


 田口は雪子に言う。「さあ、生きるはずだった世界が待っているよ」

 「生まれておいで」と言っているようだと思った。ここまで観て、私はあ、この舞台は雪子が誕生する話なのかなと思った。最初の、手術台のシーンからすでに夢(あるいは幻覚)の世界で、現実では田口の妹として雪子が生まれこようとしているのかと思った。

 しかし私の予想に反し物語はもう一展開する。
 場面は再び病院に戻り、有沢とビンコは田口が目覚めるのを待っている。ビンコは買いものに出ていく。一人になった有沢のもとに雪子が現れる。
 雪子は有沢とともに暮らす生活を夢想する。戻ってきた婚約者のビンコと対立する。有沢は、田口は自分がビンコと結婚するのを嫌がっていたようだったと語る。

 この流れの中で、私は一瞬田口は性同一性障害で、自分の中にある女性としての人格が雪子なのかな……? と思った。
 あれあれあれ……、と思っているうち更に物語は進み、ビンコの反撃により雪子は消え、代わりに田口が目覚める。
 目覚めた田口は自分には妹はいないと言う。夢に見ていたことも、雪子のことも何も覚えていない。
 女性になりたいと思う男性を、女性が阻む話だったのか……? と私は思う。

 しかし物語は、雪子の「兄さんーーーーー!」という呼び声で終わる。




 *



 兄がいる。
 二つ上である。
 私だけが、この人のことを「お兄ちゃん」と呼べる。




 舞台を観終わった直後の感想は、「わからない」だった。より正確に言うなら「わからなくなった」
 途中までは「兄妹の話」だと思っていた。しかし終盤で、違うかもしれないと思い、でも最後、確かに田口と雪子は兄妹だったように思う。

 終幕後に寄ったスシローで、うどんをすすりながらともだちに印象が二回転してよくわからなくなった、という話をした。ブログ書こうかなどうしようかな、もう一回行くし戯曲読んだりして勉強してからにしようかな、とも言うと「今考えたことで一回書いてみるのもいいんじゃなかな」みたいな事を言われ、それもそうかと思って、書いてみてるのが今。自分にとっての整理も兼ねてる。
 パンフレットは昨晩読んだし、戯曲も無事に買えたのでこちらも読んで、二回目も観て、また改めて考えてみようと思う。


 でもホテルに戻ってパンフレットを読みながら考えて、一晩経ってまだ考え続け、今これを書きながら、やっぱり私はこの物語を「兄妹の話」として受け取ろうかな、という意思を固めつつある。

 パンフレットに「この世に存在できなかったもの願い」「共に生まれるべきだった二卵性双生児」という文言があったことも、まあ理由にはなるが、一番は、「そうだとしたら、“私”はこの物語のことを自分のこととして“引き取れる”」からだ。

 兄がいる、妹として、この物語を引き取ることができる。

 文学部所属日本文学専攻なんかやってっと耳にタコができるほど「ただの“感想”にならないように……」と言われる。演習発表とかゼミとか卒論プレ発表とかで。ただの感想にならないように作者自解やら先行研究やら外部資料やらを持ち出して、他人も納得できるように「証拠」を並べ立て作品を読解、分析する。
 その向き合い方もとても大事だ。物語に対する真摯な姿勢だ。

 でも、だからこそ、私は“私”の“感想”のことも大事にしたいとも思う。わからないことばかりの舞台で、わからないなりにがつんと感動した一場面を、胸に響いた台詞を一つ二つ、大事に抱えてみようと思う。感想とすらいえない誤読かもしれない。が、きっとこの物語はきっと許してくれるだろう。






 私には兄がいる。
 二つ上である。
 特筆するようなことはない。

 きっと、母よりも父よりも長く、同じ時代をともに生きるだろう。
 兄がなにをやっても、なにがあっても、私だけはこの人の味方でいようと、決めている。

 私だけが、この人のことを、「お兄ちゃん」と呼べる。





 *
 *
 *



 補足みたいなついでみたいな書き方になってしまって申し訳ないのですが、今回の舞台を観に行ったきっかけというか目的は「安田さんの芝居を観るぞ」だったので言及します。てか今まで言及しなかったことが実質感想みたいなとこある。完全に「男――田口」でした。

 私は昔からメンバーが出てる作品に対してそりゃもちろん観たいけど、私はその人の人となりをそこそこ知っちゃってるからその情報が邪魔して物語に集中できないんじゃないか……それって物語に対してめちゃくちゃ失礼なのでは……? という大変面倒くさい葛藤を抱えており、出演作品は観たり観なかったりしてきてた(ごめん)人間なので、今回も若干そこの不安があった。特に生だし、と思ってた。杞憂でございました……。

 「堺雅人神木隆之介は役で顔が変わるからすごい」と常々思ってるのですが、その域でした。

 それから「少女――雪子」役の咲妃さんも素晴らしかった。すげ〜! と思ってパンフ開いてすぐ経歴確認しちゃった。宝塚〜……。



 私は、この日の舞台「少女都市からの呼び声」が自分の意志で観に行った初めての舞台でした。戯曲を読むのとも、映像で観るのとも全く違う体験をすることができました。これが「舞台」か! と思った。体験する事ができてよかった。きっかけになってくれて本当にありがとうございました。
 物語としても取っ組み合いしがいがある作品で、今から戯曲を読んでもう一度観に行くのがとてもとても楽しみです。


 最後になりましたが、無事の開幕誠におめでとうございます。無事に千秋楽を迎えられることを心よりお祈り申し上げます。








 ではまた

関ジャニ∞といっしょに、宇宙の果てを目指す。

※「KANJANI∞ DOME LIVE 18祭」(ライブ円盤2023年6月28日発売)、「幕が上がる」(初刊2012年、映画公開2015年)の内容に触れています。特に「幕が上がる」に関しては、「ネタバレ」と言ってもいいほどの話をしますのでお気をつけください。(2015年映画公開の作品に今更ネタバレも何も……という感じかもしれませんが映画「幕が上がる」は本当に本当に名作なので……)

















ドーム18祭に対する雑記、あるいは「ペンライトを青色に光らせられるようになるまで」の蛇足として







「 先生、この手紙は、……このノートに書いた手紙は、きっと誰にも届きません。届けるつもりもありません。だけど、それでも今、私はここに手紙を書いています。
今先生に会ったら、私はきっとひどいことを言ってしまいます。だって本当にひどいから。……でも間違ってない。先生は正しいです。 」


以上は映画「幕が上がる」の終盤にある、主人公・高橋さおりの独白。

「幕が上がる」は、高校の演劇部の話だ。さおりは三年生になり、演劇部の部長になる。新任の美術教師が、昔演劇をしていたと知り、副顧問をやってくれないかと頼みに行く。その美術教師―吉岡先生―が、実は過去「学生演劇の女王」と呼ばれたほどすごい役者で、彼女の指導で弱小演劇部は全国大会を目指すようになる――とまあ、そんな感じの物語だ。
でも、彼女は、吉岡先生はさおりたちを「裏切る」。
全国大会の前段階、県大会を目前にしたタイミングで、吉岡先生は教師をやめる。「やっぱり私は、教師ではなく女優でした。」と言って。





…………思うところが死ぬほどある。

私は公開当時からこの映画が大好きで、おすすめの映画を聞かれたら必ずこの作品を挙げているが、正直なところ、eighterには薦めづらい作品だとも思っている。


冒頭で引用したさおりの独白部分は、映画のサントラに丸々収録されている。私は、それを2018年以降、何度も繰り返し聴いていた。

“だって本当にひどいから。
……でも間違ってない。先生は正しいです。”

私は、当時も今も、別に渋谷さんのことも錦戸さんのことも「ひどい」とは思ってない。そう思っているひとの気持ちを否定するつもりもないが、私は今も「だいじょうぶ、大好きだよ」以外に言いたいことはないなと思ってる。
じゃあ当時この台詞を繰り返し聴きながら、私が何を考えていたかというと、私は彼らに「でも間違ってない。君は正しいです。」と言えるだろうかということだった。
正しいです。と、渋谷さんと錦戸さんと、それからなにより関ジャニ∞に、言えるだろうかということだった。

当時は、まだ、分からなかった。






それから4年後。

2022年12月18日、私はドーム18祭のペイペイドーム公演に参戦した。
関ジャニ∞のドームライブは、合間合間で暗転し映像が流れる。それを会場にいる我々は一旦着座して観る。(ちなみに関ジャニ∞のライブではMCでも一旦着座する。なんならメンバー直々に「お座りください」と促されるし、会場にいる全員で乾杯して水分補給するし今のうちにトイレに行けとも言われる。どんなライブだ)

まあ言ってしまえば映像はメンバーの移動・着替えのつなぎなわけだが、毎回かなり凝ってる。

ドーム18祭で流れた映像は、全編を通し5人が汽車に乗り、宇宙へと旅立っていくというものだった。

あれを観て「銀河鉄道の夜」を思い浮かべたひとは多いだろうが、私は「幕が上がる」のことを思い出していた。「幕が上がる」は、劇中劇で「銀河鉄道の夜」を演じるのだ。

銀河鉄道の夜」も「幕が上がる」も、離別と成長の話だと、私は思っている。
さおりは、先生がいなくなったあともう一度脚本を練り直し、台詞を一部変える。舞台「銀河鉄道の夜」は更に良いものとなり、演劇部は県大会に挑む。小説で、さおりは舞台を見ながら「私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。」と考えるシーンがある。

私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。どこまででも行ける切符をもっている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。
でも、私たちは、それでもやっぱり、宇宙の端にはたどり着けない。私たちは、どこまでも、どこまでも行けるけど、宇宙の端にはたどり着けない。

さおりたちが宇宙の端へとたどり着けないのは、宇宙がどんどん膨らんでいるからだ。どう頑張っても、宇宙の端にはたどり着けない。彼女はそのことを知っている。
それでも、冒頭で引用したさおりの独白は、以下の台詞で結ばれる。

「先生。私をここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございました。
私はここから、宇宙の果てを目指します。」


宇宙の端にはたどり着けなくても、舞台の上でなら、ステージの上でなら、どこまででも行ける。
彼女はそのことを知っている。




私は、ドーム18祭に参戦して、関ジャニ∞といっしょに、宇宙の果てを目指したくなった。








2019年から2022年まで、私は正直ゆるオタになってた。販売されるCDは全種買ってたし、音楽番組に出演したら張り付いて観てたしライブDVDも買ってたしファンクラブにもずっと入ってたしライブにも行ってたし、「彼らの行く末を見届ける」と覚悟を決めてたけど。
いや、てかその覚悟がきまっちゃてたからこそ、ゆるオタになってたんだと思う。もうこれ以上何があっても私は彼らの選択に付き合うのみ、と思ってた(今も思ってる)から、なんかもう後方腕組オタクみたいなマインドになってた。着座してた。彼らといっしょに、走ってなかった。

それが、「関ジャニ∞といっしょに宇宙の果てを目指したくなった」。

Twitterでよく使ってる言い回しで言うと、「やっぱ俺、関ジャニ∞と天下取りてぇっす……!(号泣)」になった。後方腕組オタクから舎弟になった。そのぐらい、ドーム18祭、いや「KANJANI∞ DOME LIVE 18祭」はすごかった。



私は、なにをどう頑張っても、宇宙の端にはたどり着けないことを知っている。
それでも、私は彼らに、宇宙の果てを目指してほしくなって、未来の約束なんてできやしないと知ってるのに、また絶対、彼らとドームで会いたいと、思ってしまった。



年が明けてからは、少しでも応援になればいいなと思って2017年に作った応援用のTwitterアカウントを積極的に動かしている。2019年から2022年の間はほとんど動かしてなくて、ff数も20前後になっててそしてそのほとんどが抜け殻だった。作り直すことも考えたが、当時の「大好き」も今の「大好き」も本当だし、思い出のあるアカウントなので、そのまま使っている。

3月からは就活と卒論作業が始まり、正直てんやわんやしつつも「私の就活はしようと思えば来年でもできるけど、“今”の関ジャニ∞を応援できるのは、“今”だけなんだよ……!」と暴れながらやることやった上でできる範囲でできることをやってる。

私は今、本当に、心から、“今”の関ジャニ∞が一番かっこいいと思っている。

先日、村上さんの口から「今が一番楽しい」という言葉を聞くことができた。
こんなにも嬉しいことはない。

そうだ、今なら言える。

「でも間違ってない。
 君たちは正しいです。」








私は、明日がどうなるかなんかわからないし、未来の約束なんてできやしないことを、知っている。

それでも、関ジャニ∞といっしょに、宇宙の果てを目指す。

ペンライトを青色に光らせられるようになるまで

※ドーム「18祭」のネタバレを含みます。(私が参戦したのは12月18日ペイペイドーム公演と12月25日バンテリンドーム公演)まだ行ってない人はご注意ください。そして、どうか楽しんで!



 安田さんが、終わりがけの挨拶で「手をとってください」って言ってくれて、本当に嬉しかった。私が、手を伸ばしてくれていた、と思っていたのは間違いじゃなかったらしい。

 手を伸ばしてくれて本当にありがとう。

 あなたの手をとれる人生でありたい。

 自分でもおかしな話だと思うんだけど、関ジャニ∞のことがほんとにほんとにだいすきだな、と思ったのと同じくらい渋谷さんと錦戸さんのことがだいすきだなって思った。

 関ジャニ∞というグループは、自身の歴史をちゃんと抱えて存在してくれている。すべては地続きで、関ジャニ∞はずっと関ジャニ∞なんだと思えた。だからかもしれない。

 関ジャニ∞という存在がだいすきだ。その歩み、すべてを愛してるな……。



 行きの新幹線で、改めて自分の感情を見つめ直し、ペンライトはもう何色にも光らせられない……と思ったけど会場でともだちの持っていたJUKE BOXのペンラが自動で色が切り替わることに気づき、私の持ってる十五祭のペンラと交換してともだちはオレンジで振り、私は虹色で振ることになった。光らせて振れてよかった。彼らから見た景色が、きらきらと瞬いたならそんなに嬉しいことはない。その景色の一部になれてよかった。

 本当に、人生ってやつはよくできている。

 これでよかった。

 心からそう思う。

 これでよかったのだ。



 ……というのが今年の一月8BEATの公演に参戦した時、鍵垢で公開してたメモ書きです。

 私は2012年の映画「エイトレンジャー」で関ジャニ∞を認識し、「ER」いい曲だな〜と思ってベストアルバム「8EST」をレンタルしました。その後中学校で仲良くなった友人がeighterだったこともありなんとなくメンバーの話とかを聞いたりライブ参戦のうちわ作りを手伝ったりして「ともだちが好きなグループ」っていう「ともだちのともだち」的な感覚漠然とした好意を抱いていたわけですけど「JUKUBOX」のライブDVDを貸してもらって、そこで「宇宙に行ったライオン」を演奏してる関ジャニ∞を観て、それで、心底惚れたんですよね。
 「宇宙に行ったライオン」を歌う渋谷すばるさんが、関ジャニ∞が、とてもとても格好良かった。
 それから「関ジャニ∞が好き」になって、「関ジャニ∞の中では誰が好きなの?」って聞かれたら「渋谷さんと錦戸さん」って答えるようになった。中学校の頃のともだちもそういう認識で、誕プレで赤と黄色のものばっかもらってた。

 それでもしばらくは「曲ファン」を名乗っていて、CD買ったり音楽番組に出てるときは観るけど、出演してるドラマや映画を必ず観たりとかはしてなかった。ファンクラブにも入ってなかった。これは自分のお金で入りたいなと思っていたからというのもあるけど。ともだちがライブに行っていたので、「JUKUBOX」からは毎回全員写真の代行を頼んでたけどライブに行ったこともなかった。そんな自分が「eighter」を名乗るのはおこがましいんじゃないかと思っていた。それが、本当に本当に、大切な、大事な名前だってことを知っていたから。

 でも2018年の頭ぐらいかな、関ジャニ∞が好きって話をした高校のともだちに「eighterなの?」って聞かれて、するりと頷いてた。

 約6年間、関ジャニ∞を見ていて、ずっと好きで、大好きで、Twitterのアカウントも作ってはいたけど、自分みたいなやつが「eighter」を名乗るのはおこがましいんじゃないかとどこかでずっと思ってた。でも気づいたら自分の人格形成の基盤になっちゃってたことにその頃、やっと気づいた。

 関ジャニ∞のことが大好きだった。


 そして、やってきた2018年4月15日。

 当時のことは当時の自分が書いてるのでもう書きませんが、私は、本当にあのときただただ「彼らの人生に、これからに、大丈夫、大好きだよ」って言いたかった。悲しくない、さびしくないといったら嘘になるけど、ずっと大好きでいると、覚悟を決めた。渋谷さんの門出を心から応援したし、関ジャニ∞を続けると選択した6人に心から感謝していた。
 それは今でも変わらない。

(先日、渋谷さんのライブにも行きました。とてもとても楽しそうに歌っていて、私もとても楽しくて、やっぱり大好きだ! と思いました。これからも大好きだ……)

 それから、2019年9月。

 当時もブログを書きました。それでも別に、全く、「裏切られた」とは思わなかった。今もそうです。当時私は浪人生だったけど、中学校のともだちと予備校の先生に背中を押される形で参戦した「十五祭」は、とてもとても楽しかった。これが私の走馬灯で良い! と思えるぐらい。錦戸さんのうちわを握りしめて、8色に光ることがたまらなく嬉しかったペンライトはずっと黄色で握って、オープニング映像で号泣して、泣きながら笑っていた。

 それでも、ずっと大好きだと思った。

 それでも、関ジャニ∞が続いてくことに、心から安心していた。

 関ジャニ∞の行く末を、作っていく未来を、私は見届けたいと思った。その、覚悟を決めました。

 それでも、関ジャニ∞が、大好きだった。


 二度目の「47」が決まったとき、手元に自分で稼いだ金があったので慌ててファンクラブに入会して申し込んだんですけど、それには見事に落ちました。友人も外れたんですけど遠征するタイミングがあり、グッズだけ買うというので5人のうちわを代行してもらった。「健やかであれ……!」と心から思った。「47」はコロナの影響もあり結局完遂できなかったけど、ちびぬいが発売されて「なんて粋なことをしてくれるんだ!」と思いながら買った。当時は大学進学直後で、オンライン授業ばっかでともだちもいなくて大変心細い思いをしていたので一人暮らしの部屋にちびぬいがきてくれたことがとても嬉しかった。

 それからはまた、大変でしたね。
 みんな隨分歯がゆい思いをしたと思います。私もかなりしんどかった。実家を出てはじめての一人暮らしかつ大学生活で、ともだちもいなくて。その頃は刀剣乱舞という私の人生におけるもう1つの指針とも出会っていたのでその二大柱を心の支えにしてなんとかやっていました。

 2021年になったら少しずつ大学に登校することができて、ようやくともだちもできました。
 そのうちの一人もなんとeighterで、おまけに同じAO入試組だとわかり「入試の日メンノンの付録のトートバック使ってたよね?」と言われました。びびった。ともだちも同じものを持っていました。時々大学でお揃いになってます。

 私はメンノン付録のトートバックやら「十五祭」のイッツマイバックやらを堂々普段使いしてて、CDも全種買いして、音楽番組も必ず観て、雑誌もチェックして、相変わらず出演映画やドラマは観たり観なかったりして、大学でできたeighterのともだちと関ジャニ∞の話をしたりしていました。「8BEAT」が出たときは二人で「やっとアルバムが出た!」と喜んだ。ファンクラブにも入り続けていた。ずっと好きだった。彼らの行く末を見届けると、覚悟を決めていた。

 ライブ「8BEAT」は、自名義は外れたけど、大学でできたともだちが当たっていて、連れて行ってもらえた。
 高速バスで行く予定でバス代も払ってたけど当日私が特大寝坊をぶちかましてしまい起きたときにはバスはともだちだけ乗せて出発するところでした。その節は本当にごめんなさい。私はバス代5000円をドブに捨て、友人は焦りのあまりICカードにチャージしたお釣りの5000円を駅に忘れました。まじでごめん。しかもそのあと新幹線で追いかけた私のほうがじゃっっっかんはやくついちゃったし。なんなんだ。

 その新幹線の中でひとり、「十五祭」のペンラを眺めながら「もうこのペンライトはもう何色にも光らせられないな……」と考えていた。

 何色に光らせて持っていればいいのか分からなかった。

 関ジャニ∞が大好きで、5人のことが大好きで、うちわは「47」のときの5人のものを持っていたけど、ペンライトってどうしたら良いんだろう? と思った。「十五祭」のときはずっと黄色で持っていた。赤色にだって光るそれは、きっとその色で持っていてもいいよっていう彼らのメッセージで、それは本当に本当に嬉しかったけど、だからこそ、そのどちらの色で握ることもできないと思った。

 そんなことを考えながら会場に入って、ともだちにも話さなきゃなと思ってたんだったか話したんだったか忘れたけど、席についてペンラやらうちわの準備しだしたとき、ともだちが中古で買ってた「JUKUBOX」のペンラが虹色に光ることが発覚した。本人は知らなかったみたいで、私も知らなくて、慌ててお隣の方に聞いたら「色指定できないペンラ」だった。7色順番に光り続けるペンラだった。

 交換してもらった。

 ともだちは丸担で、オレンジに光らせたいだろうから、という思いもあったけど、「色指定できないとか、そんなの私のためのペンラじゃん」ともそりゃ思った。ライブは、始まった瞬間また号泣してしまったけど、とても楽しかった。関ジャニ∞が、5人が、それから渋谷さんと錦戸さんのことが、だいすきだな〜と思った。
 そして何より、ペンラを光らせることができてよかった。
 ライブ会場でキラキラとペンライトの光が瞬く光景がとても好きだ。彼らの見たい景色だとも思う。その一員になれて、本当によかった。

 今思えば、そのペンラが「JUKUBOX」のときのものだったということも、めちゃめちゃすごいことのように思える。私が彼らに心底惚れたライブだ。
 本当に、人生ってやつはよくできている。

 と、そのとき、虹色に光るペンラを握りしめ、心から思った。



 7月のスタジアム「18祭」にも同じともだちと参戦して、またペンラを交換した。
 そのときは2階スタンドのかなり上の方でしっかり双眼鏡を駆使したけど、会場全体を見渡すことができて、それがとてもきれいで、そんな上の方でもとてもとても楽しくて、本当に、あの日は泣かずにずーっと笑っていた。笑っていられた。「楽しかった〜」と言いながらともだちと帰った。

 関ジャニ∞のことが大好きだった。


 そんでもって久しぶりのドームの冬コンが決まって、ともだちとバラして応募したらふたりとも当たって、2週連続で行けることになった。

 そこでとうとう、新しいペンライトが発売された。

 8色、色指定できるペンライトだった。

 私がそれを迷わず購入したのは、彼らに落としたいってのもそうだけど、制御型のペンラだと聞いて、「彼らの演出に加わりたい」と思ったから。彼らの思いに報いたかった。彼らの、見たい景色の一部になりたかった。

 12月18日のペイペイドーム公演にまず行った。うちわは相変わらず5人のものを持っていた。制御されてるうちは正直気が楽だった。そうじゃないときは、特に意識的にいじらずつけたときについてるままの色で握ってた。それが赤でも黄色でも気にしないことにした。メンバーが近くに来たときは、メンカラに変えて手を振った。

 ライブはとても楽しかった。
 制御されたペンラの、会場全体使った演出は素晴らしかった。
 声出しOKになって、全力で叫んだ。みんなのコールにレスポンスできることが嬉しかった。安田さんが「大好きー?」て聞いてくれることに対して「大好きー!」って声に出して言えることが、本当に嬉しかった。

 そうしているうちに、なんとなく青色に光らせたくなってきた。

 ライブの終盤、安田さんが突然花道まで駆け出したのを観てわけもなく目頭が熱くなった。
 

 安田章大さんはとてもとても優しい人だ。
 時々、独特すぎてまじで何いってんだかわかんないときあるけど、とても丁寧に考えた言葉で話をする人だと思う。
 安田さんが、メンバーが“減った”ではなく“変わった”と言ってくれたことを、私はずっと覚えているし、インタビューや、「8BEAT」の時も、なんだかずっと、私が言ってほしいようなことを言ってくれるひとだった。

 それから、今一番「eighter」って、私たちのことを呼んでくれるひとのような気がしていた。


 それから一週間後の12月25日バンテリンドーム公演にも行った。開演前、ともだちと「また大好きって言わせてほしい」「味をしめててくれ〜」「メンバー全員に言いてえ〜」とか言い合ってたら、安田さんは、今度はなんとわりと序盤で「愛してる」って言わせてくれた。

 「愛してる」て。

 ライブってすごいな。普通に生きてたら「愛してる」って、愛してるひとに全力で叫べることなんかないよ。

 本当に全力で叫んだ。ペンラもそれから、無制御中は基本青で持ってた。双眼鏡で、安田さんのことを追いかけてた。
 帰り道、ともだちに「今日はずっとペンラ青だったし、安田さんのことばっか見てたね」と言われて、ふにゃふにゃになりながら「なんかすっごくかわいかった〜」と言っていた。
 安田さんのことが大好きだった。

 すごいな〜、って思う。だってもう、なんだかんだ存在を知ってから10年で、関ジャニ∞が好きだなって自覚してからは8年ぐらいが経つ。みんなのこと、ずっと見ていた。ずっと好きだな〜大好きだな、と思ってて、これからもずっと好きでいる覚悟を決めていた。
 なのに、ここってまだ底じゃなかったんだ。

 10年間見てきたひとに、ひとって、恋に落ちれるらしいです。

 自分でもびっくりしてます。







 関ジャニ∞ってすごいグループだな〜と本当に思ってる。
 追いかけてきてよかった。
 ドーム「18祭」では、もう聞けないんじゃないかと思っていた「宇宙に行ったライオン」も演奏してくれて、私の夢がまたひとつ叶いました。本当にありがとう。

 横山さんが、村上さんが、丸山さんが、安田さんが、大倉さんが、大好き!

 彼らが私の人生に現れてくれなかったら、本当に、何もない人生だった。
 関ジャニ∞のおかげで、本当に良い人生だな〜と思えています。ありがとう。



 愛してる!!!!!







追伸 オタクとして欲を出すなら安田さんには最後までハーフアップを貫いてぜひハーフアップを円盤に残して頂きたいです、お願いします神様。

 ではまた

ほんとに、よかった

 思いがけずAO入試で受かり、大学受験が終わったので十五祭の円盤を観ましたが、全部、これでよかったんだろうなぁという気持ちになりました。



 ロイヤルミルクストーリー、ヤフオクでは歌ってなかったので歌ってたのほんとに今日知ったんですが私の一番好きな「今できる楽しいことをしようよ それを恋と呼ぼうよ」というところがまるっとなくて、これ、誰も歌えなかったのか、渋谷さんの場所として空けてくれたのかわかんなかったんですけど、でも、これで良かったんだろうなと思う。私は7人のロイヤルミルクストーリーを知っているので、そこが空白であることがわかってしまうけど、はじめてあの場でロイヤルミルクストーリーを聴いた人にはそれはわからないし、もちろんどちらも間違いなくロイヤルミルクストーリーだし、あれは間違いなく彼らの“今”だったし。全員がボーカルになったことで、そういうズレは少なからずあったわけですがあんなにもはっきりと空白が現れたのを目にするのは私ははじめてでちょっと驚いてしまった。

 でも、それで良かったんだろうなと思う。


 ライブの席、私はちょっとステージからは遠目で、彼らは遠かったけど、でもそのぶんドーム全体がよく見えた。あちこちで輝くペンライトひとつひとつが見えたし、私は関ジャニ∞が作り上げてきた事象というものも確かに愛しているのでその光景が見えたのは嬉しいことでした。バックの映像もよく見えたし。円盤だとメンバー近いなと思ったけど全体を俯瞰したりバックの映像も見ながら、みたいなのは会場じゃないとできないんだなぁということを考えた。渋谷さんめちゃくちゃいたもんね。それを見れたのは、私はやっぱり、嬉しかったんですよ。彼も彼もいたことを、いろいろあった十五年を踏まえた上で、今ここにいる彼らが、現実なわけだから。円盤のエンドロールにも使ってたし、彼らはあれを見せたかったのかもしれないと思ったし、それを見に行けたのは、ほんとに、よかった。



 47ツアー、外れましたが、今もめちゃくちゃ行きたいですが、実は申し込んでたツアー日入試の二次試験の二日前だったので一次受かったときこりゃ当たらんくて良かったかもしれんな! と思いました。浪人して地元に残ってたからから中学時代からの友人と十五祭に行けたのかもしれないというのもあるし。はじめて「友よ」聴いたときも関ジャニ∞好きでよかった! と心底思ったし。なんというか、世界は案外うまくできてるんじゃないかと思います、最近。



 今回のブログ、いつにもましてまとまりがなくて恐縮ですがいつにもまして特に言いたいことがないからなんですよね。
 私はずっと、これでよかったと現在に太鼓判を押していこうと思っています。彼らのことを肯定したいし、自分の人生を肯定したいので。すべて、良い方向に進んでいると信じています。これでよかったんですよ、ほんとに。なにひとつ間違いではない。





 ライブ中、あそこにいる彼らは本物、ということを何度もいい聞かせなければいけないほどなんというか現実味は薄かったし、それは別に遠目の席だったからじゃなくて、私にとって彼らはずっと遠いんですよどれだけ近くに来てくれようとしても。でも、近くに来てくれようとしてくれるのは嬉しかったし、手を伸ばしてくれたのはわかったから、私は、それで構わなかった。遠さというのは特に問題ではなかった。私はずっと彼らのこと勝手に育ての親って言い続けます。そういう存在に出会えたことは私の人生において確かな誇りであるわけです。

 予備校で出会った大好きな先生がノートルダムが燃えたとき「やっぱ行きたい場所には行けるうちに行かなきゃね」って言ってのに背中を押されて、十五祭に行く気になったという話はTwitterでもしましたが、その先生がこの前「これからの人生においての選択で、自分の尊敬する人に見てもらって恥ずかしくない選択をしていきなさい」と言ってました。それは、ほんとに、そうだなと思う。私は彼らに恥ずかしくない人生の選択をしていきたい。最後に、これでよかったって言えるように。


多分一年ほど前に書いてから、ずっと下書きにいれていたものを公開しました。2020/12/05

愛の証明

 愛の存在を証明しないとその愛は存在しないかというと、そんなことは全くないわけですが相手に届けられる場合はもちろん届けたほうがいいし、いつかの自分のために残しておくということはとても大切なことだろうと思います。

(でも証明しなくたってそこに愛は存在している。)


 ところで彼らが、それを証明するための手段として“音楽”を選んできたこと、私にはそれが嬉しかったわけです。



 私は以前からたびたびこのブログで「それでも、音楽は残る」と書いていたのですが、これは本当に、本当のことなんですよ。

 それでも、音楽は残る。

 関ジャニ∞は、世間的にはメインボーカル二人がいなくなったグループかもしれない。でも十五祭パンフレットの全員「vocal」表記が真実なわけですよ。これは「友よ」を聴いてもわかりますが……。

 それでも、彼らは音楽で戦える。


 もちろん、渋谷さんと錦戸さんも。

 音楽をつないでいってくれている……。


 音楽は魔法じゃないから、奇跡を起こしてくれたりはしない。

 でも、愛を、証明できるのだ!







追記

 「All is well」の公式和訳が「きっとうまくいく」、なのめちゃくちゃ嬉しかった。

 eighterでよかったな〜!



 

アイドルじゃなくなった人

 アイドルじゃなくなった人の単体グッズばかりあるな、とふと気づいた。元々グッズを買う機会もあまりないので、グッズ自体数はないんですがタンスの中には2016年のももクロライブの緑のライブTシャツ、机の上にはエイトレンジャー2が公開されたときの赤のスマホ入れがペンたてとして置かれ、関ジャニ∞のCDが入ったボックスには十五祭の錦戸さんのうちわが突き刺さっている。

 みんな、もう、アイドルじゃなくなった人だ。


 アイドルほど、常に終わりを意識して活動をしている職もないだろうなと思う。スポーツ選手の引退とは、似ているようで、違う。アイドルじゃなくなる、ということはアイドルをひとり失うということだ。アイドルだったその人は、もう、世界のどこにもいないのだ。

 それでも、音楽を続けてくれたらいいなぁと思っていて。彼が幸せに向かって歩いていってくれたらいいなぁと思っていた。




 私は最近日付が変わる前には寝てて、Twitterもあまり見ないようにして日々を生きてるので今日朝起きて、一番にしたこととは関ジャニ∞のサイトを開いて写真を見ることだった。



 きれいだった。


 GR8ESTのときを思い出した。

 スクショを4枚撮って、好きだ……と思って、予備校に行った。関ジャニ∞関ジャニ∞で本当によかった! 好きだ! と思った。

 その昼休み。ネットニュース見てたともだちに教えてもらって知った。「錦戸さん、インスタ始めたって」

 慌てて検索して、公式サイトを見て、あ〜よかった! と思った。よかった音楽を続けてくれてて。ほんとに。Twitter覗いたらせっかちすぎるって言われてて笑った。私は君の優しさを感じていた。



 私は、アルバムジャムの特典で、錦戸さんがなんだかしょんぼりして「ともだちいない……」って言ってたのがほんとにさびしくて、それから、この人はほんっとにさびしがりやなんだろうなぁと思っていた。だから、みんな、さびしくないように、がんばってくれたんだろうなぁ、ということがわかって、しみじみと好きだなと思います。

 それから帰りの市電の中で、You Tubeの動画を見て、勢いをつけてずっと聴けてなかった渋谷さんの「ぼくのうた」も聴いた。不器用な人だなぁと思った。このうたが歌える場所を、彼が作ることができてよかった! と思った。好きだなぁと思った。






 彼らのこと、ほんとに、すきでよかったなぁ! と思えることが一日に三回もあったので今日は本当にいい日でした。





 アイドルじゃなくなった人。

 アイドルを続けてくれる人。

 どちらも、私は好きだなぁと思う。だってもう、アイドルかアイドルじゃないか以前に、ずっと彼らが好きだったんだもん。楽観的な人間なので、勝手に救われることを許してくれるアイドルにはこれからも勝手に救われてるだろうし、ステージに上がってくれる以上、私は君のことを見上げる。でも、それは、彼らが彼らだったからだ。


 だからこそ、いつだって終わりではなくはじまりのときを、祝福したい。

 また新しい朝が来る。

 2020年の手帳も買った。

 この手帳を、幸せな予定でいっぱいにしたい。これからもきっと、いっぱいいいことあるよ。


 こんなにも、優しくて、不器用で、きれいな君に、いいことがないなんておかしいもんね。絶対いいことあるよ。

 君の門出を、私は心から祝福します。


 君にとってうたのように、私は文章を書くことでこの世界をどうにかしたいと思っているので、とりいそぎそれだけいいにきました。

 おめでとう。

 なんでもいいます。関ジャニ∞さん、渋谷さん、錦戸さんへ。

 これからたくさん、君にいいことがありますように。祈ってます。

 それでは