私事覚書

君に今、伝えておきたいこと

兄(妹)の話

(あるいは舞台「少女都市のからの呼び声」を観ながら考えたこと、観たあと考えたことの整理・備忘録)

※舞台「少女都市からの呼び声」の物語・演出・パンフレットの内容に触れます。






 兄がいる。
 三つ上、といつも説明するが兄は早生まれなので一年の半分以上は二歳差だったりする。だから二つ上、と説明するほうが正確なのかもしれない、と最近は思う。
 私と兄は特別仲良しというわけでもないし、特筆できるような仲良しエピソードがあるわけでもないが、私は兄のことがわりと好きだったりする。
 きっと、母よりも父よりも長く、同じ時代をともに生きるだろう。
 兄がなにをやっても、なにがあっても、私だけはこの人の味方でいようと、決めている。




 *



 舞台「少女都市からの呼び声」を観に行った。
 7月15日㈯の夕方公演。ローチケの一般でとったチケットは三階席の一番後ろで「逆に貴重!」とは言ったもののどの程度見えるものか不安になりつつオペラグラス持参で挑んだ。席についてみると角度のついた三階席後方は舞台全体のみならず会場全体が見渡せてとてもよかった。想定してたよりはるかにちゃんと舞台も見えた。一階席のお客さんの後頭部を勝手にお借りしてオペラグラスの調整をしつつ開演を待った。

 開演五分前になぜか異常に緊張しはじめ隣に座っていたともだちに手を握ってもらった。
 「なんか……やになってきちゃった…」と喚く私の手を、ともだちは「やにならないで〜」と言いながら握り、それからなぜか上下に振ってくれた。

 観ながら、そして観たあとに自分がどうなっちゃうかわからなかった。

 私は、物語にはまずノーガードでぶつかりにいくのが礼儀。押忍。という思想の持ち主なので観ると決めた映画の予告編からは逃げ回るしシリーズ新刊のあらすじはうっかり読んじゃわないように手で隠しながら買う。予告編やあらすじを見て、あれこれ考える時間もたしかにかけがえのないものだけど、私は何も知らないまっさらな状態で作品を味わえるのははじめの一回だけだから、それをどうにかして死守したいと思っている。

 だから「少女都市からの呼び声」も、キービジュアルぐらいしか把握してなかったし、なんならそれすら若干薄目で見てた。雑誌も買うだけ買ってインタビュー記事は読んでなかった。

 自分で望んで生み出した状況ではあるけど、そうなると心構えのしようがなくて、ともだちに「誘っておいてなんですが私はあらすじを知りません。観たあと自分がどうなっちゃうかもわからないです……」と言うしかなくなる。おまけに私は映画「味園ユニバース」を劇場で観たあと物語のエネルギーを消化しきれなくて三日ほど体調を崩した前科もある。緊張しないほうが無理な話だ、例え三階席の一番うしろでも。……いややっぱ緊張の才能あるかも。


 始まる前はそんな感じだったわけだけど、いざ幕があがったら正直なところ、物語というより世界観についていくのに必死だった。

 手術台に男(田口)が寝ている。腹からでてくる長い髪の毛を切断するかどうかを看護師が親友(ということにしておく)の有沢とその婚約者ビンコに迫る。田口は突然覚醒し、「雪子に聞いてくる」と言い残しまた眠る。
 雪子とは田口の、行方不明の妹である。田口は雪子と会う。雪子は、右手の指を三本も失い、おまけに婚約者のフランケ醜態博士に体をガラスに変えられている。田口は雪子を救い出そうと奔走する。
 なぜ田口は自分の指を雪子にあげる選択をしてまで、雪子を救おうとするのか、舞台上で理由が語られるわけではない。

 でもきっと、兄妹だから、以外にない。

 と、私は思う。
 舞台を観ながら、無意識のうちに納得している。

 「少女都市からの呼び声」は兄妹の話だ。

 (と、私は思う)


 目まぐるしく展開していく物語に、若干遅れをとりつつも、がつんとなぐられるように感動したのが、雪子が田口に兄さんと呼んでくれと乞われ「兄さんーーーーー!」と力の限り叫ぶシーンだった。


 兄を「兄さん」、あるいは「お兄さん」「兄ちゃん」「お兄ちゃん」「兄貴」「兄上」「兄者」と呼べるのは、妹(あるいは弟)だけなのだなぁということを時々考える。それから、妹(あるいは弟)は生まれた瞬間から妹(あるいは弟)だけど、兄(あるいは姉)は妹(あるいは弟)が生まれた瞬間兄(あるいは姉)に“なる”のだよなぁということも考える。

 田口のことを「兄さん」と呼べるのは雪子だけで、田口は、雪子がいないと「兄」にはなれない。
 「兄さん」と呼ぶ、そして呼ばれることはある意味「愛してる」と伝えるよりかけがえのないことなのかもしれない。


 田口は雪子に言う。「さあ、生きるはずだった世界が待っているよ」

 「生まれておいで」と言っているようだと思った。ここまで観て、私はあ、この舞台は雪子が誕生する話なのかなと思った。最初の、手術台のシーンからすでに夢(あるいは幻覚)の世界で、現実では田口の妹として雪子が生まれこようとしているのかと思った。

 しかし私の予想に反し物語はもう一展開する。
 場面は再び病院に戻り、有沢とビンコは田口が目覚めるのを待っている。ビンコは買いものに出ていく。一人になった有沢のもとに雪子が現れる。
 雪子は有沢とともに暮らす生活を夢想する。戻ってきた婚約者のビンコと対立する。有沢は、田口は自分がビンコと結婚するのを嫌がっていたようだったと語る。

 この流れの中で、私は一瞬田口は性同一性障害で、自分の中にある女性としての人格が雪子なのかな……? と思った。
 あれあれあれ……、と思っているうち更に物語は進み、ビンコの反撃により雪子は消え、代わりに田口が目覚める。
 目覚めた田口は自分には妹はいないと言う。夢に見ていたことも、雪子のことも何も覚えていない。
 女性になりたいと思う男性を、女性が阻む話だったのか……? と私は思う。

 しかし物語は、雪子の「兄さんーーーーー!」という呼び声で終わる。




 *



 兄がいる。
 二つ上である。
 私だけが、この人のことを「お兄ちゃん」と呼べる。




 舞台を観終わった直後の感想は、「わからない」だった。より正確に言うなら「わからなくなった」
 途中までは「兄妹の話」だと思っていた。しかし終盤で、違うかもしれないと思い、でも最後、確かに田口と雪子は兄妹だったように思う。

 終幕後に寄ったスシローで、うどんをすすりながらともだちに印象が二回転してよくわからなくなった、という話をした。ブログ書こうかなどうしようかな、もう一回行くし戯曲読んだりして勉強してからにしようかな、とも言うと「今考えたことで一回書いてみるのもいいんじゃなかな」みたいな事を言われ、それもそうかと思って、書いてみてるのが今。自分にとっての整理も兼ねてる。
 パンフレットは昨晩読んだし、戯曲も無事に買えたのでこちらも読んで、二回目も観て、また改めて考えてみようと思う。


 でもホテルに戻ってパンフレットを読みながら考えて、一晩経ってまだ考え続け、今これを書きながら、やっぱり私はこの物語を「兄妹の話」として受け取ろうかな、という意思を固めつつある。

 パンフレットに「この世に存在できなかったもの願い」「共に生まれるべきだった二卵性双生児」という文言があったことも、まあ理由にはなるが、一番は、「そうだとしたら、“私”はこの物語のことを自分のこととして“引き取れる”」からだ。

 兄がいる、妹として、この物語を引き取ることができる。

 文学部所属日本文学専攻なんかやってっと耳にタコができるほど「ただの“感想”にならないように……」と言われる。演習発表とかゼミとか卒論プレ発表とかで。ただの感想にならないように作者自解やら先行研究やら外部資料やらを持ち出して、他人も納得できるように「証拠」を並べ立て作品を読解、分析する。
 その向き合い方もとても大事だ。物語に対する真摯な姿勢だ。

 でも、だからこそ、私は“私”の“感想”のことも大事にしたいとも思う。わからないことばかりの舞台で、わからないなりにがつんと感動した一場面を、胸に響いた台詞を一つ二つ、大事に抱えてみようと思う。感想とすらいえない誤読かもしれない。が、きっとこの物語はきっと許してくれるだろう。






 私には兄がいる。
 二つ上である。
 特筆するようなことはない。

 きっと、母よりも父よりも長く、同じ時代をともに生きるだろう。
 兄がなにをやっても、なにがあっても、私だけはこの人の味方でいようと、決めている。

 私だけが、この人のことを、「お兄ちゃん」と呼べる。





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 補足みたいなついでみたいな書き方になってしまって申し訳ないのですが、今回の舞台を観に行ったきっかけというか目的は「安田さんの芝居を観るぞ」だったので言及します。てか今まで言及しなかったことが実質感想みたいなとこある。完全に「男――田口」でした。

 私は昔からメンバーが出てる作品に対してそりゃもちろん観たいけど、私はその人の人となりをそこそこ知っちゃってるからその情報が邪魔して物語に集中できないんじゃないか……それって物語に対してめちゃくちゃ失礼なのでは……? という大変面倒くさい葛藤を抱えており、出演作品は観たり観なかったりしてきてた(ごめん)人間なので、今回も若干そこの不安があった。特に生だし、と思ってた。杞憂でございました……。

 「堺雅人神木隆之介は役で顔が変わるからすごい」と常々思ってるのですが、その域でした。

 それから「少女――雪子」役の咲妃さんも素晴らしかった。すげ〜! と思ってパンフ開いてすぐ経歴確認しちゃった。宝塚〜……。



 私は、この日の舞台「少女都市からの呼び声」が自分の意志で観に行った初めての舞台でした。戯曲を読むのとも、映像で観るのとも全く違う体験をすることができました。これが「舞台」か! と思った。体験する事ができてよかった。きっかけになってくれて本当にありがとうございました。
 物語としても取っ組み合いしがいがある作品で、今から戯曲を読んでもう一度観に行くのがとてもとても楽しみです。


 最後になりましたが、無事の開幕誠におめでとうございます。無事に千秋楽を迎えられることを心よりお祈り申し上げます。








 ではまた