私事覚書

君に今、伝えておきたいこと

君の誕生日に、来年の手帳を買う。

 君の誕生日に来年の手帳を買いに行ったのは、君があの日、あと36年生きるって言ったからだ。もうすでに、私の倍生きてる君が、それでも、あと倍生きるって言ったからだ。そして君がこれからも頑張りますって言ったからだ。私には、そう聞こえた。じゃあ、とりあえず、私もあと一年頑張ろうと思って、生きて、今日まで頑張って、来年も生きようと思って手帳を買いに行った。




 明日死ぬかもしれないのに来年の手帳を買って、それから大切な人の、大好きな人の誕生日も書き込むことは祈りに近い。私は全人類の幸せを願うほど善人にはなれないけれど、私の大好きな人が幸せになれるなら、何度でも地獄に行きたい。それは私のわがままで、お節介でしかないことを私は知っているけど、君には、どうしても君の幸せをつかみとってほしいといつも祈ってる。


 そもそも君は、君が最高だってこと、ちゃんと知っているだろうか。君の感情は君だけのものでなによりも尊いもので誰にも触らせてはいけないこと、つまらない同情や悪意や常識にさらされていいものではないことを、君は本当に、知っているだろうか。

 私はずっと知っていた。そして君にはそれを、守り抜いて、大切にして、いつの日か君の戦場から世界に見せつけてほしかった。私はそんな君を見て、世界が腰抜かすぐらい幸せになる。君は最高。君が好きだ。君が瞳を大きく開いてうっすら微笑みながら絵を描いてるのが好きだ。君が美味しいものを食べて黙って先輩を見つめちゃうのが好きだ。君がまわりを意識しすぎてセルフ過剰演出しようとするのが好きだ。君が遠くからでもわかるぐらい大きく体を動かしてアピールするのが好きだ。君が後輩になめられておしりの写真を撮られちゃうのが好きだ。君が空気を読まないで不機嫌だったりご機嫌だったりするのが好きだ。君が自分の文脈で物事を解釈して言葉を選択してしゃべるのが好きだ。君がこれからよろしくお願いしますって言うのが好きだ。君が未来に向かって頑張りますっていうのが好きだ。君が明日も生きていることを前提に今日を生きてるのが好きだ。
 君が生きていることが好きだ。君が生きてきたことが好きだ。君が生きていたことが好きだ。好きだから、好きだ。

 君が好きだ。

 実というと、言いたいことはこれだけで、そんなにない。いつも言ってることだし、私は誕生日じゃなくったっていつでも君には幸せでいてほしいし私は君のことが好きだ。でも改めて、言わせてほしくて、今日もここに来てる。誕生日おめでとう。幸せに、なってね。







 君って、君のことだよ。






 ではまた

私の音楽

“音楽って人格を作る1つの素材になるから、作り手としては、僕たちの音楽がみんなのこやしになってくれたらいいなと思います。もちろん、「お前らの歌が好きやから聞いてんねん」でいいし。メッセージは聞く人が勝手に解釈するものだと思うので、年齢関係なく好きに楽しんで受け取ってもらえばいいですね。”

東京ニュース通信社「TVガイド2018 3.31-4.6号」安田章大のインタビューより引用
インタビュアー:高瀬純


 マイクを握ってくれる人がこれだけの言葉を手渡してくれるのだから、私が音楽について語ることはもうないような気もするけれど、今日も、私はあくまで私の話をしようと思ってここに来ました。特に今回、私は音楽について専門的な知識は全くと言っていいほどないですし、そもそもここで再三話してきた関ジャニ∞さんのことだって、私はいつだって彼らのことをちゃんと知っているとは言えないということを十分承知の上で、それでも、今、私が私の話をすることに意味があると思って、それだけを信じて話してきました。私が話すのは今ここにいる私から見える景色のことだけで、それは絶対にあなたの見ている景色とは違うものです。私は、誰かの本物があなたの本物に成り代わることを望みません。私のことが嫌いでも、世界のことを憎んでもいいから、あなたは、あなたのことをちゃんと抱きしめていてくださいね。





 少しだけ、音楽の話をしようと思う。ただ私は音楽に詳しくはないので、これから先の話は、正しくは、音楽は誰のものかという話だ。

 私は以前から、自分で作ったわけではない歌を“自分の歌”として歌っているアーティストたちに違和感を感じていた。歌というものは自分を表現するためのものなのだから、歌は、作った人のもののはずで、では、彼らはいったいどんな気持ちでそれを歌っているのだろう、と、思っていた。
 もちろん、それらは彼らのために作られたもので、よってそれらは確かに彼らのものだ。だから、それはそれでいいのだ、と思いながらも、ずっと引っ掛かっていた。それは本当に彼らのものだろうか。



 でも最近、ようやく気づいた。音楽はそもそも、誰のものでもない。


 はっきりとそのことに気づいたのは、ついきゃすでお姉ちゃんのカラオケを聴いていた時だったが、よくよく思い出してみると、同じような現象はずっと私の周りで起こっていた。それは例えば、小学校の通学路とか。中学校の音楽室とか。お姉ちゃんのカラオケキャスで、私のためにと選んでくれた「マジックミラー」はあの瞬間、確かに彼女の曲だった。小学校へ向かう道でともだちが歌っていたサザンオールスターズのあの歌は、今でもずっと私にとってはあの子の歌だし、合唱部のみんなで解釈して歌った「鴎」は、私たちのものだった。音楽は、彼女のもので、あの子のもので、私たちのもので、つまり、誰のものでもなかった。だからこそ、私のもので、あなたのものだ。そして彼らのものでもあるのだ。と気づいた。その音楽を、彼らが彼らのものとして歌ってることがすべてだった。それ以上の本当なんてどこにもない、



 これは余談だが、音楽というものは身軽で、口ずさむことで、容易に自分のものにできる。音楽は空間になるから、自分の音楽に多くの人を巻き込むこともできるし、CDに封じ込めたり、イヤホンを使えば、それを自分だけのものにもできる。詩にメロディーがつけられることがあるし、映画だって、かなり音楽の力を借りている。音楽は、身軽で、しなやかで、強い。誰のものでもない音楽は、多くの人のもとを流れるうちに余分な情報が削ぎ落とされて、きっと、いつの日か、本当の音楽だけが残るような気がしている。世界が衰退して、そして最後に残るのは、音楽のような、気がしている。実を言うと、私はそれを期待しているのだ。いつの日か、私も、彼らも、今生きている人が一通り死んで、更に時間が流れた先で、それでも音楽が残り、音楽は残り、音楽だけが、誰かの手に包まれて、愛されていたらいい。そんな未来が、あったらいいと願う。

 私は音楽が好きだ。


 結局私が音楽について話せることは、これだけだ。





 私は音楽が好きですが、私の戦場はあくまで文芸だと思ってるので音楽に感じるその身軽さは時にとてもうらやましく感じることもあります。しかし、それ以上に、今ステージに立ち、マイクを握ってくれている、彼らの人生を敬愛していて、だから音楽を好きでいられると思うのです。もちろん、音楽はあなたのものなので、あなたも十分に私の敬愛する彼らの一人です。今日も私は私の話をしているだけですが、これは私からの、あなたへの敬意でもあります。話したいことはそれだけです。あなたのために書きました。どうか明日もあなたがあなたのことを抱きしめていられますように。ではまた

私の赤は渋谷さんの色

 赤は女の子の色だった。
 だから私は赤が嫌いだった。



 いつだって私が話せることは私のことだけで、私じゃない誰かのことなんて話せないし私以外に私のことを話させてはいけないと思ってるので今日も私は私の話をします。私の生活する地方は梅雨明けしてめちゃくちゃ暑いです。晴れてます。そちらはどうですか。空は今晴れていますか。曇りですか雨が降っていますか。君は晴れが好きですか雨が好きですか。私はお気に入りのスニーカーがはけるので晴れが好きです。ラーメンは何味が好きですか。私はうまかっちゃんが好きです。何色が好きですか。私は、赤が好きです。



 小さい頃、赤は女の子の色だった。私は何かそういう、女の子っぽさを押し付けられるのがいやだったのか、恥ずかしかったのか、赤やピンクやハートとか、そういうものがどうにもだめだった。赤いランドセルは嫌で水色がいいって言ったのに、母には赤にしなさいって言われて、できるだけ鮮やかじゃない、紫っぽい赤を選んだ。小学校で注文するコンパスは赤と青の二色で、私は青を選んだ。母が買ってくる服や筆箱はピンクだったりもしたし、選択肢がないときもあったけど、ずっと、ずっとなにか苦手だった。嫌いだった。渋谷さんはそんな私の前に現れた絶対的な、赤色だった。


 私と彼らの出会い方はブログ記事の「君の人生に、これからに、大丈夫。大好きだよ。って言いたいだけ。」http://mylights.hatenablog.com/entry/2018/04/15/160349
で書いてるのでここではちょっと割愛しますが、とにかく私が彼らに心底惚れたのは友達に貸してもらったライブDVD「JUKEBOX」の宇宙に行ったライオンで、その時渋谷さんは赤いマイクコードを手にぐるぐる巻いて歌ってた。衝撃だった。強い赤だった。こんなにも強い赤色を私は見たことがなかった。それから私の赤は渋谷さんの色になった。



 赤色、好きですか。私は好きです。

 渋谷すばるという人間が背負ってきて、私に見せてくれた赤が好きです。

 赤は渋谷さんの色で、渋谷さんはめちゃくちゃ強く見えて、実際めちゃくちゃ強くて、私も強くなりたくて、晴れの日は靴紐を赤に変えたスニーカーをはきます。赤いイヤホンで音楽を聴きます。この前、赤色と黄色のヘアピンを買いました。赤はこれからも私を強くしてくれる色です。私は赤が大好きです。

 彼が旅立っても、それでも、くちびるくんは赤いと思います。

 
 君はどうですか。何色が好きですか。どう思いますか。



 いつだって、私の言葉は君にだけ届けばいいと思ってる。だから君はどうかなっていう、それだけが私は知りたい。4月15日から毎日はてブを徘徊して、いろんなEighterさんのブログの読者になってて本当によかった。知ることができてよかった。Twitterも、めちゃくちゃリアルタイムで、刹那的で、それはそれで好きだけど距離が近くて抜け出せなくなっちゃうと時間がないときはつらいのであんまり顔出せない。私はでも、ツイートもブログも、君が君のことを表現してくれる、その努力に報いたいと思ってる。勝手だけど、本当に。努力が報われないだなんて、絶対に思わないで。私に、私じゃなくても誰かに、自分でもいいから、見せてほしい。


 Eighterさんの書いたブログを読んだり、あの三日間をtlで皆さんと共有することができて、私は本当に関ジャニ∞さんが好きだしEighterさんが好きだし関ジャニ∞さんの作り出したこの状況が好きだ、と思いました。あんなにも人間に愛されている人たちを、私も愛することができて本当によかった。大好きだと言えるようになってよかった。名前を受け取れてよかった。

 私が知らない過去の彼らを知るたび、私はあの頃何をやっていたんだろう? と思うことがないといったら嘘になるんですけどそれでも私がこうして彼らに出会えて大好きになれたことを後悔したことは一度もありません。彼らはいつだって私の最高を更新してくれる、私の人生の最大の物差しです。私は彼らを通してアイドルを理解して、仕事を理解して、人生を理解していました。ファッションだって、彼らが憧れで、応答セヨをテレビで披露するときの錦戸さんのブーツとか、渋谷さんの帽子とかTシャツにジャケットとかいう組み合わせ方とか、安田さんの浴衣に眼鏡とベレー帽とか、全員のスーツ姿の着こなしとか、目標にしてます。私の絶対的な価値はこれからも変わりません。これからも大好きです。どうかあなたの好きなことをしてください。そういえば、渋谷さんはすごく楽しそうに絵を描くので私はViviに休憩時間絵を描いてたって書いてあって嬉しくなりました。音楽だけじゃなくって、ちゃんと、自分のしたいことをしてください。あなたの人生です。彼らも、彼ら一人一人の人生を生きてほしい。幸せを願ってます。私を拾い上げてくれて、肯定してくれて、許してくれてありがとうございます。私も私の人生で自分の幸せをつかみとります。君もね。よかったら、一緒に、世界が腰抜かすぐらいはちゃめちゃハッピーになりましょうね。無責任で無神経な大好きと大丈夫が必要になったらいつでも呼んでください。応援しています。私の戦場から。




 明日、君が見上げる空はどうですか。

家族の証明

 君が家族をどのように定義しているかは知らないが、私にとっての家族は、私が愛してる人のことで、私を愛してくれる人のことだ。

 私は今父と母と兄と暮らしている。その父と母から兄は産まれ、私も産まれたのだが、それが家族でなる理由になるかというと、全然、そんなことはない。産みの親とは、一人の人間のうまれてくる瞬間を共有する人間のこと。ぐらいに思っていいんじゃないかと思う。うまれてくる、というのは、文字通り産まれる瞬間のことでもあり、一人の人間が自我を持ち、思考し、一人の人間として生き始めるまでの期間のことでもある。自我を持った一人の人間はもう誰とも自分のことを共有できない。共有できてると思うことは、傲慢だ。自分が産んだから、自分の子だから。だからなんだというのだ。そこにいるのは自分とは違う、一人の人間だ。そんなことを理由にして愛してるというのは、一人の人間として扱っていないだろう。そんな人間のことを、君は愛さなくていい。君は、君を愛してくれる人のことを親だと言い張ればいいし、君が愛している人のことを親だと言い張っていい。私はそう信じてる。

 そう思うようになってからしばらくたつが、私は今、同じ家で暮らしてる三人の人間のことも、人間としてちゃんと好きになることができた。夕食時、4人でご飯を食べながら喋る時皆好きなものの話をするのがとても楽しい。皆趣味がばらばらだからわりと好き勝手喋ってるだけだけど、私は好きなものの話をする人間が大好きだから彼らのことも大好きなのだ。そして彼らも私の好きなものの話をちゃんと聞いてくれるし、歩み寄ってくれる。私のことを好きでいてくれると思う。だから私は彼らとも家族だ。血が繋がっているからではなく、好きだから、家族だ。これはでもまあ、Twitterのフォロワーに対する感情や友達に対する感情とほぼ同列で、私は小学校の頃から家を出ていきたかったし今も出ていく気満々だから同じ家で暮らす人間のことが好きになれないことは、なにも間違ってはいないと思う。人間同士だから。保護者程度に思っておけばいい。君の人生は君だけのもので、それは産みの親だけに育てられた人生ではないはずだ。君には産みの親以上に、育ての親がいるはずだ。好きな人や好きでいてくれる人がいるはずだ。それを忘れはいけない。



 こんな考え方してるし、私は家族になることに結婚や、出産や、なにか特別な手続きが必要だとは全く思っていない。結婚して身を固める、とか言われると、結婚に何を期待しているんだろうか? と思う。結婚したところでひとりとひとりだ。出産したところでひとりとひとりとひとりだ。それぞれの人生があって、それは共有できなくて、何かしてあげたいと思うことはお節介でしかない。親だからとか、もちろんそんなの全然理由にならない。他人のために何かしてあげたいと思うことは、根本的にはお節介だということをもっとちゃんと理解すべきだ。理解した上で、覚悟をした上で、好きだからという理由で私は人と関わりたいと思っている。関わらないといけないと、思ってる。家族だから関わるのではなくて、好きだから関わって、好きだから、家族。関わるから、家族になる。家族って、そういうものでいいんじゃないのかな。私と君は家族になれるってことを、今ここに、証明してみせよう。








 この話は「私をマイクを握らない」ともともとひとつにまとめて書いてて、今の私がこのような形であるのは彼らがいたからであって彼らこそ間違いなく私の育ての親であって私としては、「私は~」の延長線上にあるものだったのですがうまくまとめられなくて結局ふたつに分けました。だから言いたいことは同じです。もしよかったら、君が君の幸せをつかみとる、その手伝いをさせてほしいということ。私はそのためにここにいようかと思います。私は、私の声が圧倒的に遠くまで届かないことを知っているし、今まで何人もの人がが私の前から姿を消していったことも覚えてるけど、私は私でしかないし、私は今の私が最高に大好きなので今の私のままここに居続けます。君が伸ばしてくれた手は必ず私が握ります。君が今日も、君の幸せをつかみとれますように。ではまた

私はマイクを握らない

 まずは、また懲りもせずに彼ら、関ジャニ∞の話になるが、もうどうしようもないぐらい彼らに育てられて生きてるからちょっと聞いてほしい。それは、私はあの日のことをどうしても裏切りだとは思えない理由だ。裏切りだと思う人の場合は、きっと、今までの言葉は、行動は、なんだったのか。という感情に由来するのだろうから、なぜ私が裏切りだとは思えないのかという答えをシンプルにまとめるなら私はそういった一連の言動を全く信じていなかったからということになり、そしてそれは確かに事実だ。私はそういった点で彼らのことを信頼していた訳ではない。10代からずっと、本当にやりたくてアイドルやってるだなんて、絶対そんなことないとずっと思ってた。彼らが見せてくれるすべてが、本当ではないと思っていた。だから、彼らのことが大好きだけど、大好きでいいのか、彼らは本当にそれを望んでいるのか、大好きだから、ずっと考えていた。今も時々考えるし、あの日も考えてた。でも、その上で私たちの前に立ち続けてくれる彼らの姿が、私たちに見せてくれる姿だけが何よりの事実で、答えだろうと思ったから、私たちが勝手に大好きになって、勝手に救われることを、彼らは許してくれていると思った。そういった点でのみ、私は彼らのことを信頼していた。そしてそう考えた上で、彼らを大好きになったのだ。
 私はアイドルのことを、あえて言葉を選ばないのなら人柱のようなものだと思うこともある。だから、あの日、彼が本当にやりたいことを見つけたこと。それができる環境にいたことが嬉しかった。好きだから。しかも相変わらず才能の存在を信じてない私には、間違いなく彼が自分自身の手で掴みとった彼の環境が、今が、超、最高! 世界に俺が最高だ!!! ってことを見せつけてほしい。成功も失敗も自分で言い張るものだ。どうか前を向いてほしいと願う。そんな彼を、そして彼らを大好きだと思う。やっぱりどうあがいても最高だと思う。誇り以外のなにものでもない。これが今の、私の本当の気持ち。

 彼らのことが好きだ。好きだから、私は彼らに幸せになってほしい。彼らの人生を、彼らのために生きてほしい。好きは全ての理由になる。好きだから、裏切りだとは思えない私がいるように、好きだから裏切りだと思う人もいる。それでいい。なにも間違ってない。君はどう思う? 私はそれが聞いてみたくて、君のことを知りたくて、まずは自分の思ったことと理由を今日も君に届けに来た。


 そもそも握るマイクもないけれど、彼らがこれからもステージに立って、マイクを握ってくれるなら、これから先も私がマイクを握る必要はない。だから私はマイクを握らないで、ここで君と手を繋いでいよう。

 ステージにたつことは、マイクを握ることは、一人でも多くの人へ届けるためのものだ。光は、自然と目に入ってくるものだ。音は、自然と耳に入ってくるものだ。そういったもので、彼らは私に手を伸ばしてくれた。私を拾い上げてくれた。どうせ彼らに拾い上げてもらった人生だ。マイクは彼らに任せて、私はここで君だけのために言葉を並べていようと思う。言葉は意識されないと意味にならない。届かない。だから、言葉は、君が意識する瞬間、君だけのために並べられるのものだ。君だけに届けばいい。そう思って私はよく言葉を並べている。

 君が手を伸ばしてくれたら、ちゃんと繋げる距離に私はいる。だから、よかったら、君からも手を伸ばしてほしい。君を理解したいから。共感はできないかもしれないけど、君が今、何を感じて何を考えているのか。どうしてそう感じたのか考えたのか、できる場所から発信してほしい。理解したい。受け入れたい。そしてできることなら君の力になりたい。お節介しかできないけど、できる範囲でできることをしたい。だから君が今何をしたいか、その気持ちだけが何より重要なんだ。別に私のために、じゃなくていい。未来の自分のためにもなるから。世界に、君は最高だ!!! ってことを見せつけてやれよ!

世界で一番きれいな家族写真

GR8EST BABYのこと


 どうしよう、泣きそうだ。


 関ジャニ∞のベストアルバム「GR8EST」の発売日だった。私は学校から、いつもとは違うバスに乗って買いに行き重たいビニール袋をさげて家に帰った。暑かった。重かった。でも歩きながら、私は家にたどり着きたくないなぁと思っていた。きっと楽しみなものは、待ってる時間が一番楽しくて、辛いものは待ってる時間が一番辛い。私はこの日を2ヶ月ぐらい待ってた。4月と5月は楽しみなことが2つ3つぐらいしかなくて、ずっとこの日を楽しみに生きてた。だから家に帰ってもしばらくは一緒に買った雑誌を眺めながら過ごしてた。

 明日も学校だし、聴くのも、観るのももう少し先伸ばしにして、とりあえず全部開けるだけ開けよう、と思って開封し始めたのがさっき。

 今、私は、呆然としている。


 最高すぎる。


 関ジャニ∞は最高。


 ジャケットデザインの三種類どこにもメンバーの姿がなくて、いるのはGR8EST BABY だけ。


 GR8EST BABYの詳細は公式サイトにあるんでちょっと割愛するけど、私は、実は君のこと、関ジャニ∞なんだなって思ってる。

 赤ちゃんって、愛されるためにかわいい顔をしてるって話、聞いたことある? 私、それってめちゃくちゃアイドルだなって思うんだ。愛されるために、かわいくなる。愛される存在。愛すことを、許してくれる存在。それはもうほぼほぼ私にとってのアイドルだし、私にとってのアイドルは、ニアリーイコールで関ジャニ∞のことだ。勝手に大好きになって、勝手に救われることを許してくれる存在。

 私はきっと彼らの存在に、ここまで連れてきてもらった。

 だから私は彼らのこと、育ての親って勝手に呼んでるし、実際名前をもらってるし肯定してもらってるし手を差し出してもらってる。もう、そんなの、親じゃん。って思ってる。だからある意味では私自身もGR8EST BABYなのかもしれないって思う。でもやっぱりそれ以上にGR8EST BABYは関ジャニ∞そのものだ。彼らは何よりも君のことを大切に育ててきたんだろう。

 そんな君のことを、メンバーが囲んで、笑っている写真がある。

 これは別にCDジャケットの話じゃないけど、今の公式サイトとかで表示されてるから皆にもちょっと、見てほしい。

 あまりにもきれいなんだ。

 私にとっては世界で一番きれいな家族写真かもしれない。

 豪華盤を開くと、この写真が額縁におさまってるみたいになってる。本当に、何よりきれい。しばらくの間取り出せることに気づかないぐらいそれはきれいにおさまってた。

 初めて見たときからこの写真、ずっとめちゃくちゃかわいい! と思ってたけど、今はそれ以上にきれいだって思う。

 世界中の何よりも、君はきれい。

 君は間違いなく愛されてるよ。愛されてる。今まで愛されてきたし、これからも愛され続ける。だから君は一生赤ちゃんのままだろう、と私は思ってる。公式アプリで育てるとか、そういうことじゃなくって、君は愛される存在なんだ。君は一生、私にとってのアイドルだ。これからもどうか、大好きでいることを許してほしい。幸せを願うことを許してほしい。君の誕生を、祝うことを許してほしい。


 お誕生日おめでとう。

 君が君にとっての幸せを手にすることができますように。

 

 一秒も聴いてないし観てないんだけど、なんとか今日中に、それだけ、伝えておきたかった。

 これからよろしくね。大好きだよ。

桜庭一樹作品に見る「アイドル」

 以下の文は2017年12月に学校の授業で書いたこじらせ自由研究論文です。加筆修正はしていません。
 「A」(「じごくゆきっ」収録)「少女七竈と七人の可愛そうな大人」「ゴージャス」(角川文庫「少女七竈と七人の可愛そうな大人」収録)の内容に触れているのでその点については自己責任で観覧をよろしくお願いいたします。



0.はじめに

 今日、私達が「アイドル」を目にしない日はない、と断言していいほどアイドルの存在は現代社会に深く浸透している。しかし私はかつて、彼女達の存在に対して違和感を感じていた。なぜなら、アイドルが歌う歌は基本的に自分達で作った歌ではないからである。「歌」とは本来「自分」を表現するための作品であると考えている私にとって、自分で作った歌ではない歌を自分の歌として歌うその姿はどこか違和感があった。結局この違和感に対して、当時の私は「アイドル」は「歌手」ではないから歌う歌を自分で作る必要はないのだということにして自分を納得させた。そんな私が未練がましく再びアイドルについて考察しようとしているのはある本の、こんな文に出会ったからである。

「(前略)タレントだよ。少女の姿をした女優であり、歌手であり、司会者であり、ようするにすべてをこなす芸能人だ」
「それが、アイドルと呼ばれていたんですか?」

 アイドルは「歌手」であると定義づけている桜庭一樹著の「A」を読み、私はもう一度桜庭一樹作品の視点を借りて「アイドル」とは何かを考えたいと思った。

1.研究の目的

 特にアイドルに関する記述の多い桜庭一樹作品の「A」「少女七竈と七人の可愛そうな大人」「ゴージャス」を読み解き、「アイドル」とは何かを考察し定義する。

2.仮説

 消費者が「理想」とすれば活動内容に関わらず「アイドル」である。すなわち、「アイドル」とは「消費者の理想の人物」である。

3.研究

Ⅰ.「アイドル」という単語が持つ意味

 まず、辞書でアイドルがどう定義されているか確認する。

・アイドル【idol】①偶像。イドラ。②あこがれの対象者。人気者。特に、青少年の支持する若手タレント。
広辞苑第六版 岩波書店より引用
・idol①崇拝される人[物]。アイドル。②偶像。偶像神。邪神。
ジーニアス英和辞典第五版 大修館書店より引用
 辞書で「アイドル」という単語を引くと、「偶像」などといった抽象的な対象物として定義されていることに気付く。更に「偶像」の意味を調べると前述したのと同じ広辞苑では①木、石、土、金属などで作った像。②信仰の対象とされるもの。③伝統的、または絶対的な権威として崇拝・盲信の対象とされるもの。と定義されている。(イドラの和訳も偶像である)

Ⅱ.桜庭一樹作品中の記述を読み解く

 ここからは桜樹作品から「アイドル」について考察していく。

第0章 桜庭一樹作品の紹介

 今回の論文で扱う桜庭一樹作品は「A」「少女七竈と七人の可愛そうな大人」(以下「少女七竈~」と表記)「ゴージャス」の三作品である。

・A 
「SF Japan 2005 WINTER」(2005年)収録 徳間書店
「じごくゆきっ」(2017年)収録 集英社
少女七竈と七人の可愛そうな大人 
野生時代〇五年一〇月号」~「野生時代〇六年五月号」(2005~2006年)掲載 角川書店
少女七竈と七人の可愛そうな大人」(2006年)収録 角川書店
少女七竈と七人の可愛そうな大人」(2009年)収録 角川文庫
・ゴージャス
野生時代〇七年二月号」(2007年)掲載 角川書店
少女七竈と七人の可愛そうな大人」(2009年)収録 角川文庫

 「A」は「アイドル」のいない2050年代に再び「アイコンの神」がとりついて離れない元アイドルであるAと、若く美しい体を持つ生きた死体であるBを用いて大手広告代理店が「アイドル」を復活させようとする短編である。『0.はじめに』で触れたように私がアイドルについて考え直すきっかけになった作品であり、2005年と執筆されたのはこの三作品の中で一番早いが舞台を近未来に設定しており「アイドル」が存在しない世界の住人による「アイドル」に対する認識が非常に興味深く記述されている。
 「少女七竈~」は北海道の旭川で暮らす美少女川村七竈を主人公とする長編であり、高校二年生の冬、昨年も東京からやってきた梅木という女性が「アイドルになりたくはないですか」と再び彼女のことをスカウトする。そして、「ゴージャス」は「少女七竈~」で七竈のことをスカウトしていた梅木が「乃木坂れな」という十代のアイドルだった頃の話で「少女七竈~」の番外編に位置する作品だ。「少女七竈~」の舞台は平成、「ゴージャス」の舞台は昭和となっている。
 なお、以上の作品の中にはソロで活動する女性アイドルのみ登場するため今回の論文の中ではソロの女性アイドルについてのみ言及していくこととする。

第1章 アイドルから見る「アイドル」

 作品に登場するアイドルの紹介。

「A」
・A 2006年にスキャンダルで引退した元トップアイドル。物語当時の2050年代では老女であるが神のような力が未だ彼女にとりついているためこの国で50年間アイドルが消えたとされる。
・B アイドルの「Body」。老女である「アイドル」のAと接続され動く美少女の生きた死体。

「ゴージャス」
・乃木坂れな 昭和の後半、アイドル全盛期を生きた十代のアイドル。東北地方出身で引退した後はアイドルをスカウトする裏側に回る。本名、梅木美子。
・ライバル 乃木坂れなのライバルとして売り出されていた少女。男性アイドルと結婚し引退。

少女七竈と七人の可愛そうな大人
※本作にアイドルは登場しないのだが便宜上アイドルとしてスカウトされている川村七竈のことを紹介しておく
・川村七竈 北海道の旭川で祖父と二人で暮らす美少女。母親はあまり家に帰ってこず、結婚も認知もしていない。

 桜庭一樹作品に登場するアイドルに共通しているのは「美少女」であるということだ。しかしそれはあくまで第三者から見た事実であり、本人たちはむしろ「美少女」であることに冷ややかである。具体的に記述を引用すると、老女となったAはアイドル時代の自身を振り返り「理想の少女のわかりやすい雛形」であるとし、「いうまでもなく、わたくしも、わたくしたちのあおとをおうプロジェクトの仲間たちも、ほんとうの意味で“少女”だったことはいちどもない。」と続け「少女」であることすら否定している。
 れなも自分のレコードやグッズを「わたしが演じたラメの木偶」と形容し、七竈に至っては美しく生まれたことを「遺憾」であると語り、自分の顔を指して「呪い」と言う。そんな彼女たちがどうしてアイドルになった(なろうとした)のか。Aに関してはその記述がないのだが、れなと七竈は共通してアイドルになる目的を抱えている。それは、正にこの、呪いである「うつくしさ」を失うことだ。都会に出て、年を取り、生き始めるために彼女達はアイドルになった。
 つまり、彼女達アイドルにとって「アイドル」とは消費されることである。

第2章 消費者から見る「アイドル」

 作中に登場する消費者の紹介。

「A」
・P Paranoia。Psychokinesist。アイドルのBを運命の相手だとする十七歳の少年。 

少女七竈と七人の可愛そうな大人
・川村優奈 七竈の母親。かつて乃木坂れなのファンであり、自室の机にはブロマイドがしまわれている。

「ゴージャス」
・親衛隊 アイドルの狂信的なファンである若い男たちの集団。そのうちの一人はれなの隣の部屋に越してくる。

 この三作品の消費者をアイドルとの物理的距離が近い順番で並べると親衛隊、P、優奈である。しかしながら、心理的な距離の近さで並べると、P、優奈、親衛隊であるだろう。それは彼らの呼び方で判断できる。PはBのことを「B」と呼び、自分が知っているBもまた、自分のことを知っていると信じて疑わない。優奈はまるで同年代のともだちのようにれなのことを「あの子」と呼ぶ。しかし隣の部屋に引っ越しきた親衛隊の男は「れなちゃん」「君」とれなのことを呼び、決して自分から話しかけることはなかった。これらの差異は性別や年齢によるものでもあるだろうが、単純に、人の数だけアイドルの消費の仕方があるのだとすることも可能だ。
 彼ら消費者にとって「アイドル」とは運命の相手であり憧れのともだちであり年を取るのことのないバラの花である。

第3章 製作者から見る「アイドル」

 作品に登場する製作者の紹介。

「A」
・一文字 大手広告代理店であるトレンド社の社員。アイドルを復活させるためAに接触し取引をする。

少女七竈と七人の可愛そうな大人
・梅木美子 昭和の元トップアイドル。本当にうつくしい、歌って踊る、選ばれた少女を探して南から北上し七竈を見つけた。

「ゴージャス」
・マネージャー 乃木坂れなのマネージャー。

 元トップアイドルであった梅木を例外とするのならば、製作者達の目的は第一に「アイドル」という商品を売り、更に「アイドル」を利用して商品を売ることであるといえる。れなのマネージャーは、ライバルとのレコードの売り上げを比較しれなの卑しい目を指摘して「嘘でいい、もっと純真な目で歌えよ。もっと売れてみろよ。」と笑い、梅木も、七竈の回想の中で「おまえは幸いにして美しいから、ぜひ商品にならないか」と発言している。(しかしこれは七竈によって語られる梅木の言葉であるため七竈自身が「アイドル」を「商品」であると解釈しているともとれる。)
 一文字はアイドルを実際には目にしたことのない世代なりにアイドルを分析し「化け物のような“生きた広告塔”」「消費の女神」と部下に説明した上で「要するに、アイコンだったんだよ。」と締めくくった。この「アイコン」という単語は「A」のAによる独白である冒頭から繰り返し登場する言葉であるがこの単語の持つ意味などについては『4.考察・結論』で触れるとして、ここでは彼ら製作者にとって「アイドル」とは商品であるとまとめておく。

4.考察・結論

 まず『3.研究』のまとめをする。
 アイドル本人や製作者という裏方にとっての「アイドル」が消費されるべきものと共通していたのに対し、辞書で「アイドル」を引いたとき「偶像」という単語で定義されているのは消費者からの視点に近いものがあるのだろう。そしてこれは、消費者自身には自らがアイドルを消費しているという自覚がないということも示している。優奈はれなのブロマイドを机にしまったまま家を出てふらふらしているし、親衛隊の男はれなのレコードを残して隣の部屋からどこかへと去っていく。彼らにはきっと、そうなってもなお「消費」の自覚がない。これこそまさに少年がP、パラノイアたる所以である。どれだけ彼らに消費の自覚がなくとも、実際に消費者は商品を消費するがために消費者であるので、「アイドル」は消費され続ける。しかしそれはアイドルである彼女達の目的であり、様々な手段で商品が消費されることは製作者の目的でもあるのだ。
 つまり、消費者が消費者である限り、アイドルとは「消費される商品」であると定義づけられる。
 
 だが、ここでもう一つ「消費者が消費者でない場合」を仮定してみようと思う。これは「A」のなかで「アイドル」が「アイコン」であると繰り返し形容されていたがための仮定である。

・アイコン【icon】①コンピューターに与える指示・命令や文書・ファイルなどをわかりやすく記号化した図式。絵文字。②イコン。

・イコン【ikon(ドイツ)】①ギリシア正教会でまつるキリスト・聖母・聖徒・殉職者などの絵画。ビザンチン美術の一表現で、6世紀に始まる。ロシアで独特の発達をみ、ロシア‐イコンと称される。図像。②パースによる記号の3区分の一つ。形式が、その示す対象の内容と何らかの類似性を持つ記号。たとえば表意文字写像。アイコン。
広辞苑第六版 岩波書店より引用

 「A」の中にはアイドルのアイドル性を指して「アイコンの神」という言葉が使用されることもある。この場合のアイコンを、キリスト教徒が礼拝の対象とするイコンであると解釈するのであれば「アイコンの神」とは「神」ということになる。それを内に秘めたアイドルは正に「イコン」、すなわち「アイコン」というわけだ。ちなみに、「少女七竈~」と「ゴージャス」にもブロマイドとレコードという「イコン」の象徴のようなものが登場している。
 そしてこの場合、アイドルの消費者は消費者ではなく信者ということになる。つまり彼らは、アイドル達を「消費している」のではなく「信じている」のだ。
 消費者が消費者ではなく、信者である場合「アイドル」は「消費されるもの」ではなく「信じられるもの」であるのだが、親衛隊の男が隣の部屋から「君の声は、ぼくたちを勇気づけてくれるから」と言った時、れなは「ほんとうでしょうか。」「果たしてそれは、ほんとうでしょうか。」と、疑う。アイドルは、信者の信仰を自覚しない。彼女たちは消費されるためにアイドルをしているからだ。この構図は、実は消費者が消費者である場合と逆転しているものである。つまりここにも、アイドルと、取り巻く彼らの認識の差が生じているのだ。
 「アイドル」とは何かを定義するにはこの二つの差を考慮する必要がある。

 消費者と消費されるものである場合の認識の差、信者と信じられるものである場合の認識の差、それらすべて踏まえた上で「アイドル」を「商品」であり「アイコン」であると口にしている製作者の一文字は今回取り扱っている作品に登場する者の中で、最も正しく「アイドル」を認識している人物だろう。そんな彼の言葉の中から「アイドル」とは何かを述べているものを改めて引用し「アイドル」の再定義を試みよう。

①タレント
②すべてをこなす芸能人
③生きた広告塔
④消費の女神
⑤(生きた)アイコン
⑥“かわいい”という価値を持った、稀有な存在

 ①②は「アイドル」の具体的な活動内容についての言葉で、③④⑤は「アイドル」が存在することで巻き起こる現象を表現しているといえる。そして⑥は「アイドル」の条件だ。これらはすべて『3.研究』で引用してきた記述にも矛盾しない。

 以上のことから、私は結論として「アイドル」とは「社会に消費と信仰を巻き起こす芸能活動をしているかわいい存在」であると定義する。少々定義としては長いかもしれないが、多様な視点によって語られる「アイドル」は活動内容、生じる社会的な現象、条件のどれか一つに絞って定義することは非常に困難であるのだ。敢えて定義を活動内容に絞りかつての私の違和感に答えるのならば「アイドル」とは「あらゆる芸能活動をする存在」であると定義しよう。「商品」でもある彼女達が歌う歌は「アイドル」である彼女達のために作られた歌であるため、それを「アイドル」である彼女たちが「自分の歌」として歌うことは全くおかしなことではないということだ。

5.おわりに

参考文献

『じごくゆきっ』初版 集英社 桜庭一樹著 
少女七竈と七人の可愛そうな大人』第三版 桜庭一樹著 角川書店(角川文庫)
広辞苑』第六版 岩波書店 
『ジーニアス英和辞典』第五版 大修館書店


▽おまけ
 2017年夏に書いた課題の読書感想文。
 読んだのは桜庭一樹さんの「ゴージャス」(角川文庫「少女七竈と七人の可愛そうな大人」収録)

アイドルについて

 アイドルというもの。歌って踊って、子供用の甘口のカレールーのコマーシャルで子役と一緒にカレーを一口食べておいしい、と微笑む。「ゴージャス」を語る乃木坂れなはそんな、昭和の、十代のアイドルだった。
 ところで私にも四年ほど前からファンであるアイドルグループがいる。彼らはもう十代のアイドルではなく、今は平成で、多忙な五年で美貌をなくし巷に消えることもなかったのだが、私は「ゴージャス」を読んでいる間ずっと彼らのことを考えていた。私は彼らに会いに行ったことがない。彼らは、いつもテレビの向こう側、紙の上、スマートフォンの中で踊り、笑い、歌う。私、いや、私たちはそれを見て嬉しくなったり、泣きそうになったりする。
 私たちは、確かに彼らを消費している。
 私は何度も読んだはずの「ゴージャス」を今もう一度読み直し、はっきりとそのことを自覚した。
 彼らを消費している私たちが存在するように、乃木坂れなを消費する者も存在する。親衛隊と呼ばれる彼らは私よりもっとずっと近くで乃木坂れなを消費した。バイクに乗り、れなとマネージャーの乗った車と並走した挙句隣の部屋へ引っ越して来るような親衛隊に彼女は「わたしはあなたたちが好きだよ」と話しかける。私は、私が消費している彼らが私たちのことをどう思っているか知ることはない。だからこそ、れながベランダで隣の部屋の男へ向かってそう話しかけることは「救い」だと感じた。自分が消費されていることにれなは気付いている。むしろ、彼女は自分を、自分の美貌を消費して都会に紛れようとしている。彼女を消費していることに気が付いていないのは、きっと、親衛隊のほうなのだ。それでいて、彼女は親衛隊のことを好きだという。それは親衛隊にとって救いであり、私にとっても救いだったのだ。
 しかし、本来ならば、親衛隊はれなに声をかけられることは一生ないはずで、れなが親衛隊に対してどういう感情を持っているか、一生知ることはないのである。私たちと同じように。そして、私が私たちのことを彼らがどう認識しているか知ることが一生ないのは、その実、画面の向こうにいる彼らに限った話でもない。私は教室で一緒に授業を受ける隣の席のクラスメイトが私のことをどう認識しているか知らない。それに、例え彼女がいくら言葉を尽くして私のことをどう認識しているか話してくれたとしても、私はそれを正しく理解することはないだろうとも思うのだ。それは、逆の場合も同じだ。人間は、人間を理解することはない。見えるものがすべてで、された行動がすべてで、かけられた言葉がすべてだ。だからこそ、ベランダでれなが親衛隊に「あなたたちが好きだよ」と話しかけたこと。その事実だけがすべてなのだ。人間が、人間をどう認識しているか、百パーセント理解することなどないし、理解してもらうこともできない。私たちは目に見える事実を信じることしかできないのだ。
 私たちが消費している彼らに、私たちがどう認識されているか知ることがないのと同様に、私たちは彼らを全て知ることはできない。それは、例え親衛隊のように隣の部屋に住んでいたとしてもだ。れなが自分自身と逢いたがっていたように、れなが画面にうつる自分の卑しい瞳を見つめ続けたように、私は、彼らの全てを知ることはない。それは今の私にはとても寂しいことのように思えるが、せめて今の彼らが進んで私たちに消費されていることを選んでいてくれたら、と思っている。れなや、もう一人の語り主である七竃のように。今の私にとって、れなの言葉は、れなは救いだった。自らラメの木偶を演じた彼女は、年を取り、自分を見つけた。私が消費している彼らもそうであってくれたら、と私は確かに願っているのだ。いつかれなのレコードを置いて部屋を去っていった親衛隊のように、私も彼らを消費し尽くす、そんな日が来るとしても。