私事覚書

君に今、伝えておきたいこと

私の音楽

“音楽って人格を作る1つの素材になるから、作り手としては、僕たちの音楽がみんなのこやしになってくれたらいいなと思います。もちろん、「お前らの歌が好きやから聞いてんねん」でいいし。メッセージは聞く人が勝手に解釈するものだと思うので、年齢関係なく好きに楽しんで受け取ってもらえばいいですね。”

東京ニュース通信社「TVガイド2018 3.31-4.6号」安田章大のインタビューより引用
インタビュアー:高瀬純


 マイクを握ってくれる人がこれだけの言葉を手渡してくれるのだから、私が音楽について語ることはもうないような気もするけれど、今日も、私はあくまで私の話をしようと思ってここに来ました。特に今回、私は音楽について専門的な知識は全くと言っていいほどないですし、そもそもここで再三話してきた関ジャニ∞さんのことだって、私はいつだって彼らのことをちゃんと知っているとは言えないということを十分承知の上で、それでも、今、私が私の話をすることに意味があると思って、それだけを信じて話してきました。私が話すのは今ここにいる私から見える景色のことだけで、それは絶対にあなたの見ている景色とは違うものです。私は、誰かの本物があなたの本物に成り代わることを望みません。私のことが嫌いでも、世界のことを憎んでもいいから、あなたは、あなたのことをちゃんと抱きしめていてくださいね。





 少しだけ、音楽の話をしようと思う。ただ私は音楽に詳しくはないので、これから先の話は、正しくは、音楽は誰のものかという話だ。

 私は以前から、自分で作ったわけではない歌を“自分の歌”として歌っているアーティストたちに違和感を感じていた。歌というものは自分を表現するためのものなのだから、歌は、作った人のもののはずで、では、彼らはいったいどんな気持ちでそれを歌っているのだろう、と、思っていた。
 もちろん、それらは彼らのために作られたもので、よってそれらは確かに彼らのものだ。だから、それはそれでいいのだ、と思いながらも、ずっと引っ掛かっていた。それは本当に彼らのものだろうか。



 でも最近、ようやく気づいた。音楽はそもそも、誰のものでもない。


 はっきりとそのことに気づいたのは、ついきゃすでお姉ちゃんのカラオケを聴いていた時だったが、よくよく思い出してみると、同じような現象はずっと私の周りで起こっていた。それは例えば、小学校の通学路とか。中学校の音楽室とか。お姉ちゃんのカラオケキャスで、私のためにと選んでくれた「マジックミラー」はあの瞬間、確かに彼女の曲だった。小学校へ向かう道でともだちが歌っていたサザンオールスターズのあの歌は、今でもずっと私にとってはあの子の歌だし、合唱部のみんなで解釈して歌った「鴎」は、私たちのものだった。音楽は、彼女のもので、あの子のもので、私たちのもので、つまり、誰のものでもなかった。だからこそ、私のもので、あなたのものだ。そして彼らのものでもあるのだ。と気づいた。その音楽を、彼らが彼らのものとして歌ってることがすべてだった。それ以上の本当なんてどこにもない、



 これは余談だが、音楽というものは身軽で、口ずさむことで、容易に自分のものにできる。音楽は空間になるから、自分の音楽に多くの人を巻き込むこともできるし、CDに封じ込めたり、イヤホンを使えば、それを自分だけのものにもできる。詩にメロディーがつけられることがあるし、映画だって、かなり音楽の力を借りている。音楽は、身軽で、しなやかで、強い。誰のものでもない音楽は、多くの人のもとを流れるうちに余分な情報が削ぎ落とされて、きっと、いつの日か、本当の音楽だけが残るような気がしている。世界が衰退して、そして最後に残るのは、音楽のような、気がしている。実を言うと、私はそれを期待しているのだ。いつの日か、私も、彼らも、今生きている人が一通り死んで、更に時間が流れた先で、それでも音楽が残り、音楽は残り、音楽だけが、誰かの手に包まれて、愛されていたらいい。そんな未来が、あったらいいと願う。

 私は音楽が好きだ。


 結局私が音楽について話せることは、これだけだ。





 私は音楽が好きですが、私の戦場はあくまで文芸だと思ってるので音楽に感じるその身軽さは時にとてもうらやましく感じることもあります。しかし、それ以上に、今ステージに立ち、マイクを握ってくれている、彼らの人生を敬愛していて、だから音楽を好きでいられると思うのです。もちろん、音楽はあなたのものなので、あなたも十分に私の敬愛する彼らの一人です。今日も私は私の話をしているだけですが、これは私からの、あなたへの敬意でもあります。話したいことはそれだけです。あなたのために書きました。どうか明日もあなたがあなたのことを抱きしめていられますように。ではまた