私事覚書

君に今、伝えておきたいこと

家族の証明

 君が家族をどのように定義しているかは知らないが、私にとっての家族は、私が愛してる人のことで、私を愛してくれる人のことだ。

 私は今父と母と兄と暮らしている。その父と母から兄は産まれ、私も産まれたのだが、それが家族でなる理由になるかというと、全然、そんなことはない。産みの親とは、一人の人間のうまれてくる瞬間を共有する人間のこと。ぐらいに思っていいんじゃないかと思う。うまれてくる、というのは、文字通り産まれる瞬間のことでもあり、一人の人間が自我を持ち、思考し、一人の人間として生き始めるまでの期間のことでもある。自我を持った一人の人間はもう誰とも自分のことを共有できない。共有できてると思うことは、傲慢だ。自分が産んだから、自分の子だから。だからなんだというのだ。そこにいるのは自分とは違う、一人の人間だ。そんなことを理由にして愛してるというのは、一人の人間として扱っていないだろう。そんな人間のことを、君は愛さなくていい。君は、君を愛してくれる人のことを親だと言い張ればいいし、君が愛している人のことを親だと言い張っていい。私はそう信じてる。

 そう思うようになってからしばらくたつが、私は今、同じ家で暮らしてる三人の人間のことも、人間としてちゃんと好きになることができた。夕食時、4人でご飯を食べながら喋る時皆好きなものの話をするのがとても楽しい。皆趣味がばらばらだからわりと好き勝手喋ってるだけだけど、私は好きなものの話をする人間が大好きだから彼らのことも大好きなのだ。そして彼らも私の好きなものの話をちゃんと聞いてくれるし、歩み寄ってくれる。私のことを好きでいてくれると思う。だから私は彼らとも家族だ。血が繋がっているからではなく、好きだから、家族だ。これはでもまあ、Twitterのフォロワーに対する感情や友達に対する感情とほぼ同列で、私は小学校の頃から家を出ていきたかったし今も出ていく気満々だから同じ家で暮らす人間のことが好きになれないことは、なにも間違ってはいないと思う。人間同士だから。保護者程度に思っておけばいい。君の人生は君だけのもので、それは産みの親だけに育てられた人生ではないはずだ。君には産みの親以上に、育ての親がいるはずだ。好きな人や好きでいてくれる人がいるはずだ。それを忘れはいけない。



 こんな考え方してるし、私は家族になることに結婚や、出産や、なにか特別な手続きが必要だとは全く思っていない。結婚して身を固める、とか言われると、結婚に何を期待しているんだろうか? と思う。結婚したところでひとりとひとりだ。出産したところでひとりとひとりとひとりだ。それぞれの人生があって、それは共有できなくて、何かしてあげたいと思うことはお節介でしかない。親だからとか、もちろんそんなの全然理由にならない。他人のために何かしてあげたいと思うことは、根本的にはお節介だということをもっとちゃんと理解すべきだ。理解した上で、覚悟をした上で、好きだからという理由で私は人と関わりたいと思っている。関わらないといけないと、思ってる。家族だから関わるのではなくて、好きだから関わって、好きだから、家族。関わるから、家族になる。家族って、そういうものでいいんじゃないのかな。私と君は家族になれるってことを、今ここに、証明してみせよう。








 この話は「私をマイクを握らない」ともともとひとつにまとめて書いてて、今の私がこのような形であるのは彼らがいたからであって彼らこそ間違いなく私の育ての親であって私としては、「私は~」の延長線上にあるものだったのですがうまくまとめられなくて結局ふたつに分けました。だから言いたいことは同じです。もしよかったら、君が君の幸せをつかみとる、その手伝いをさせてほしいということ。私はそのためにここにいようかと思います。私は、私の声が圧倒的に遠くまで届かないことを知っているし、今まで何人もの人がが私の前から姿を消していったことも覚えてるけど、私は私でしかないし、私は今の私が最高に大好きなので今の私のままここに居続けます。君が伸ばしてくれた手は必ず私が握ります。君が今日も、君の幸せをつかみとれますように。ではまた