私事覚書

考察とか

2015年の日記

▽昨日「羊の木」を観に行きネタバレ感想を一個前のブログ記事で書いていますが、実は、あれを書き終えて自分で読み返しながらなぜか「味園ユニバース」のことを思い出していました。

※「味園ユニバース」「羊の木」の内容に触れており、ネタバレも多いです。観覧は自己責任でお願いいたします。

味園ユニバース

 2015年2月に公開したこの映画を、私は“渋谷すばるさんが主演だから”という理由で観に行った。浅はかだった。私は、作品のエネルギーを消化しきれずに数日間具合が悪くなった。それ以来、怖くて一度も観れていない。ブルーレイの円盤は自室にあるにも関わらず、だ。でもふとあることに思い出す作品だし、今回「羊の木」を観て、買ってあった雑誌のインタビューや対談などを読んでいるとこの二作は、対局に位置するのではないかという気分になった。更に、色々考えた。そのきっかけとなった、2015年の自分の日記をまずはほぼ原文そのまま掲載する。

2015年3月29日(日)

 しょっぱなからやられた……。
 もう、なんか、正直最初から最後までずっと辛かった。
 音楽のシーンは、映画館全体に、音が響いて、震えてた。
 感じたのは、どストレートな不安定さ。ずっと不安定だった。でも、生きてるんだったら皆そうだ。安定なんかどこにもない。
 最後のライブをもう一度みたい。
 途中参加の私がこれを観ることができて本当にありがたい。出会えてよかった。
 ただ映像ものはどうしてもエネルギーつかうな……食欲も消えてしまった。しばらく放心状態だった。
 まだなんか消化しきれてない感じ。
 パンフレットももったいなくてまだ全部読めてないし。
 ああ、でも、いいものを観た。
 映画最高でした。本当にありがとう。

2015年3月30日(月)

 味園ユニバース
 一日たってやっと消化できたって感じする。
 やっと、「よかった」と思える。
 もう一度観たいけど、……観れないな、これは。
 でも最後のライブはもう一度観たい。聴きたい。
 ああ、でも、これは引きずるなー。本当に。
 なんか、どうしようもなく大きなエネルギーのかたまりをドーンっと見せつけられたような感じ。
 だって、あそこにいたの「ポチ男」だったもん。
 でも「渋谷すばる」でもあるのかもしれない。
 だめだ消化できてない。
 わかんない。全然、わかんない。

2015年3月31日(火)

 「味園ユニバース」は“渋谷さんの映画”じゃなくて“ポチ男の人生”として観に行かないとぶちのめされる。
 もう一回行きたいな。
 あそこで歌っていたのは、いったい、誰だったのか?

2015年4月3日(金)

 やっとこさパンフレットを読み終わる。
 「味園ユニバース
 どうなんですか?
 なんだろう、この、もやもやした感じっていうかなんていうか。
 ものすごくスケールの大きな事件が起きたわけじゃなくて、すべて最悪な方にすっころんでもわりとそれはそれでおさまりそうな世界とか人なんだけど、人が人を必死に繋ぎとめようとしている。

 

味園ユニバース」と「羊の木」

 この日記のどこに引っ掛かったのか。ひとつ目は、私の映画に対する姿勢の違いだ。前回のブログに記述があるように私は基本、出演者を動機に映画やドラマを観ることを控えている。しかし「味園ユニバース」は日記で「途中参加の私」という言葉があるし、ブログの冒頭に書いた通り渋谷さんを視聴の動機にした。それは浅はかではあったが、今は、それでよかったと思っている。あれは確かに“ポチ男の人生”だったけど、“渋谷すばるのための映画”でもあったから。「途中参加の私」で観に行く価値のある作品だった。その点、「羊の木」は“錦戸亮のための映画”ではなかった。(私がこの作品を知ったのは関ジャニ∞さんのサイトだったし、観に行く動機に錦戸さんが主演だからという理由が全く入っていなかったかというとそうではないが)「羊の木」のなかで錦戸さんが演じる「月末一」は“普通の人”だ。公式パンフレットや、雑誌のインタビューで語られているが月末はひたすら受け手に徹している。月末が受け手の人ならば、ポチ男は明らかに攻め手の人だろう。作品の在り方として、この二作は決定的に異なる。しかし本編の内容としては寧ろ似ているのではないかと思った。これが引っ掛かった点二つ目だ。
 
 なにしろ3年前に観てから一度も観れていないので自身の記憶も微妙だったが、日記を読み返していて、気づいた。予感は「羊の木」のなかでもあった。月末が大野を迎えるシーン。大野だけは、唯一刑務所から出てくるところを月末も見ている。私はこのシーンを観てすぐ「味園ユニバース」の冒頭を思い出した。忘れられない、今でもあの冒頭ははっきりと思い出せる。衝撃だったのだ。その後黒い車が追いかけてくるのも含めて、私は、(ああ、味園ユニバースで観たことがある)と思っていた。異論があるかもしれないが、私は今、ポチ男と大野は同じだと思っている。ポチ男は記憶をなくして、大野は国家企画として、それぞれ過去を知らせないまま人と関わる。そして、過去を暴き、一度は去っていく。でも、もう一度、もう一度、二人は、手を引かれる。カスミと、クリーニング屋の店主は彼らを、繋ぎとめようとしてくれる。救いだ。私は何度か教会に行く機会があり、その日はじめて出会った人から神に祈ってもらった経験があるし、私自身よく人のために祈るが、それでも、人を救うのは基本的に人だと思っている。「羊の木」にはのろろ様という守り神が登場し最後はルールを破った宮腰を海に沈める。それを超自然的なものによる「俺にしかなれない」宮腰への“救い”だと捉えることもできるが、私は、しかし、本当に宮腰を救うことができたのは月末だったと思っている。彼は、殺されかけてもなお、宮腰へ手を伸ばす。ふたりが友だちだったのかという点には正直疑問も残るが、それでも月末は確かに宮腰を救おうとしていた。結果として救いきれず、彼は日常に戻っていくが、あの時彼が手を伸ばしたという事実が私の胸には残っている。
 救われた人も、救われなかった人も確かに存在するが人を救うことは“できる”のだ。それは、三年という年月を跨いで二つの映画から共通して私が感じたことだ。「味園ユニバース」と「羊の木」、対照的な位置にある作品ながら、本質的なところでは同じなのではないか。私はそう感じたということをここにこうして残しておく。


△「味園ユニバース」「羊の木」非常に重い映画です。私は関ジャニ∞さんを取り巻く流れのなかでこの二作に出会いましたが、きっとそういう縁がなければ一生観ることはなかったと思いますし、軽率に人にすすめられる作品でもないです。でも、よかった。出会えて、彼らと関わることができてよかった。「味園ユニバース」は本当に一度観たっきりなので近いうちにもう一度、なんとか踏ん張って観たいと思います。またまた粗削りな文章ながらこの辺で。ここまで読んでいただきありがとうございました。

2018.2.4.